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舞台恐怖症 (1950) 2015.06.20
日本未公開のヒッチコック1950年作品。
レンタルビデオ黎明期の1980年代半ばに
いち早くソフト化されていたのを覚えていますが、
ようやく観る事ができました。面白かったです。
王立演技学校で勉強中の新進女優が、殺人の嫌疑をかけられた
男友達(彼女は男に片恋しているのです)の汚名を晴らすために
奮闘するという、「素人探偵の私がきっと問題を解決します」的物語。
赤◯次郎の小説にこんなのありそうな気もしますし、
舞台を現代日本の声優養成学校に置き換えて
登場人物もアキバ的なキャラに改変したら
立派なラノベになりそうな感じ。わるいいみではなく。
そういう意味では、今でもまったく古びずに
通用する普遍的な物語設定なのかもしれません。
役者としても女性としても垢抜けないヒロインを演じる
ジェーン・ワイマン(レーガン元大統領の最初の夫人)の
コミカルな演技がチャーミングで、
そこに男女の四角関係(?)も適度に織り交ぜた
ユーモラスな作風になっており、
ですから、スリルやサスペンスよりも先に
まず楽しさや軽やかさを感じさせられますし、
殺人の顛末より何より、この恋模様の着地点は
いったいどこにあるのか?という事の方が、
激しく気になった次第です。
そして最後は「(シナリオ的に)こういう手があったか!」
と得心すると同時に驚かされもするような、
ちょっと意外な結末を迎えたのでありました。
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ところで本作、
舞台演劇にまつわる内容を描いているだけに
「舞台の幕が開く」ところから映画が始まります。
映画と舞台とを掛けたウィットの軽妙さと
演劇的な重厚さを併せ持つ、
ちょっと気の利いたオープニング。
これを観ていたら、
ハリウッドの映画産業を描いたロバート・アルトマンの
『ザ・プレイヤー』(1992) が、カチンコの音と共に
始まっていた事を思い出しました。
『舞台恐怖症』のオープニングのことが
アルトマンの頭にあったのかも???などと
勝手な想像するのもまた楽しいもので、
こういう発見(≒空想)があるから、
古い映画を観るのを止められません。
Comments
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- Bill McCreary : URL
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ディートリヒというと、「午前十時の映画祭」で「情婦」をやっていましたね。あれも私はネタを知らなかったので、「なるほど!」とうならされました。ogatさんもご覧になったかと思いますが、いかがお感じになりましたか。
それにしてもこのころのヒッチコックの映画って、「私は告白する」とか、知名度は高くないですけど、やはりうまい映画ってありますよね。私もこの時期の彼の作品を完璧に見ているわけではないので、これからもいろいろ見て勉強していく所存です。
ところで「午前十時の映画祭」というと、いまやっているのが「風と共に去りぬ」と「ライアンの娘」で、「ライアンの娘」には、ヒッチコックの「フレンジ―」で、主人公を陥れる殺人鬼を演じたバリー・フォスターが、独立運動家役で出演していました。制作された年月を考えれば、たぶんヒッチコックあるいはキャスティングの担当は、「ライアンの娘」での彼の演技も参考にしたのでしょう。ogatさんはご覧になりましたか。ご覧になっていなければ、ぜひ劇場へ足をお運びください。 - ogat : URL
-
>Bill McCrearyさん
初めて「情婦」を観た時は、面白くて面白くてびっくりしました。
あの凄さは、時代が変わってもまったく色褪せないですね。
ディートリッヒは『舞台恐怖症』の頃すでに50歳目前なのに
男を狂わせる妖艶女の役にまったく違和感なくて、これも驚きます。
「ライアンの娘」は未見で、今年の午前十時の中で最も楽しみにしている
作品のひとつです。ヒッチ作品は、定番以外だと(定番でも)
意外と見落としているものですよね。特に初期は全滅です。
少しづつ拾って行こうと思います。
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