(前回までのあらすじ)
初めてiTuneでシャッフル機能を使って音楽を聴いたら、予想外に楽しかったのだが…。
10年前の雑誌記事の受け売りですが、音楽を聴くという行為は、一見受動的のようで、実は大変な主体性を求められる。今、自分がどういう気分で何を聴きたいのか、を正確に把握していないと、音楽は楽しめない。音楽を聴くとは、非常に「クリエイティブ」な作業であり、己を知り尽くした上でないと、真髄は味わえないのです。○×△□でも聴こうかなと思って再生したはいいけれど、いまひとつ気分がのらず途中で止めてしまうって、よくある事ですよね。
とは言え、私の様に惰性で日々を送る松竹梅の梅レヴェルの人間は、そうそう創造的でも居続けられない訳で、自分で選ぶと、どうしてもチョイスが偏ってしまう。聞き慣れたもの、昔から好きなものなど、ついつい惰性で安全パイに走ってしまう。そんな時、シャッフル機能でiTuneさんなりiPodさんなりに自動的に選んで頂きますと、自分で選択して聴く場合にはあり得ない冒険的な選曲がなされ、なおかつ不思議な事に、個別に聴いた時には聞き流していたそれら楽曲が、ものすごく「良い音楽」に聞こえるのでビックリした訳です。
昨日の具体例ですと、「なんだなんだ、このカッコイイ演奏は?」と思ってモニターを見てみたら、過去のレパートリーを解体&再構築して高い評価を得ている、近年のウェイン・ショーター・クァルテットでした。そりゃカッコイイに決まってるのですが、ちなみに以前このライブを「自主的に」選択して聴いた時は、「なんか気分と違うなー」と速攻でスキップしていました。天下のウェインも、凡人の前では無力なものです。
結局、DJingとかサンプリングも同じ発想に根ざしているのでしょうが、その曲なり演奏なりが、元々置かれていた文脈から切り離されて別の文脈にポンと置かれた時、本来の意図とは全く別の魅力が発揮されるという事なんでしょうかねえ。学校では冴えないコスプレ少女が、幕張メッセに場所を変えると輝き出す様なものでしょうか。
10数年前のクラブジャズ隆盛時、ミロスラフ・ヴィトウスのエレクトリック作とかゲイリー・バーツのリーダー作など、ジャズ業界では凡作と片付けられがちな品々が人気を得ていて妙な感じだったのですが、これも文脈違いだからこそ出現した何らかの魅力があったのかもしれぬ、と今となっては思います。
どうでもいいけれど、なぜシャッフル機能を使うとつまらなかった音楽がステキに聞こえるのか。どなたか平易に解説して欲しいものです。ホント不思議。考えた人は天才。
