1997年作、イーサン・ホーク主演の近未来モノ。誕生する赤ん坊の素質を遺伝子レベルでコントロールできるようになった未来。優秀なDNAを持つ人間のみが優遇される差別社会の中、遺伝子操作ナシで生まれついた主人公が直面する厳しい現実と挑戦を描く作品。
人間の運命は遺伝的に決められているのか、それとも後天的に開拓するものか。こうやって文字にすると陳腐な命題ですが、それを安っぽく見せずにヒンヤリした空気感の中で上手く見せていると思います。冷徹な世界にも密やかに流れる人の温もり、そこに一抹の救いを感じる一作。

抜群の遺伝子的素質を持ちながらもトップになれない事に苦悩する男をジュード・ロウが演じており、彼のクールな二枚目振りが哀しい役にハマっています。また、つい先日アカデミー助演男優賞を獲得したアラン・アーキンが、執拗な捜査を展開するベテラン刑事に扮して鮮烈。ご存知ない方の為に説明すると、アラン・アーキンはオードリー・ヘプバーンが盲目の人妻を演じたサスペンス「暗くなるまで待って」(1968)の悪役の人です、って余計に分かりにくいですね。
wikipediaによると、"Gattaca"のスペルのGとAとTとCは、DNAの基本分子であるguanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字とのこと。言われるまで全く気付きませんでした、なるほど。

感動するとやる気になれる。まあ普通の事ですよね。誰でもそうだと思います。
私の場合は音楽や映画に感動するとやる気が出て、急にポコンと曲が出来たりします。例えばキューブリックやウディ・アレンなど巨匠の映画を観てこんな事を考えるとは、ある意味では勘違い野郎とも言えるかもしれません。しかし、「同じ人間、やってやれないはずはない」と思えて嬉しくなってしまうのです。その結果、何かが本当に生まれたりするのですから(そのクオリティがキューブリックと比べてどうかはさておき)、非常におめでたい話です。


私もパーカッションで参加したLampの新作「残光」、2007年3月7日にリリースされます。完成品が届いたので早速聴いてみましたが、素晴らしい出来映えに改めて感動しております。現代日本語ポップスのひとつの完成形と言っても、決して過言ではありません。
ここは一応私めのブログなので、自分が演奏で参加しているという事を隠すのも不自然な話であり、一応その旨を上に記してはおります。しかし「残光」を語るに当たってはそんな事は大した問題ではなく、私が参加していようがいまいが、是非とも聴いて頂きたい内容の作品です。新録の2曲と、オリジナル・アルバムに収録されなかった旧作4曲が収録されていますが、いずれの曲も高品質、高解像度。それぞれの美点を箇条書きにしたいところですが、とりあえず個人的には一曲目を飾る「過ぎる春の」(メンバー三人の共作)がツボにハマり過ぎて悶絶しています。とにかく完成度のメチャクチャ高い感動洗練音楽であり、豊饒なコード進行とそこに絡み付く美メロ、そしてイマジネイティブなアレンジメントと歌詞には脱帽です。鮮やかなサウンドに眩暈がします。本当に刺激的!
ところで、私は新録にのみ参加しているとばかり思っていたのですが、届いた見本盤のクレジットを見ると、過去作のところにも名前が載っています。2003年春の録音とのこと。たかだか4年前の話ですが、なぜかこの時の記憶が全くありません。しかし曲を聴くと、コンガの音色やフレージングは確かに私の物です。通常は、自分の演奏を聴くとアラばかり気になってあまり良い気分になれないものですが、自らが演奏したという記憶がない録音を第三者的に聴く時は、なぜだか良いプレイに聞えます。と、最後は自画自賛で締めくくり〜。ドンドン。(退場)
※冗談抜きで、本当に聴いて下さい。聴かねば損です。公式サイトの「残光」紹介ページ。
http://www.h2.dion.ne.jp/~lamp/zankou/zankou.html
緊急用の保存食として買い置きしてあるカロリーメ○トの消費期限(賞味期限?)がやってきたので、ここ数日で順に片付けていました。一年だか一年半だか毎にやってくる恒例行事です。

前回の「カロリーメイ○」は正直あまり美味しくなくて、なかなか減らない品物の山を前にしてため息をつく日々が続きましたが、今回買い置きしておいた別メーカーの競合商品(バランスパワーという品でした)はなかなかの美味で、あっという間に食べ尽くしました。他社がこうして良い品物を供給している一方で、カ○リーメイトがパッケージデザインも含めて全く改良もされずに現存しているのはちょっと不思議な感じもします。やはりこの分野の先駆けとして、圧倒的なブランド力があるのでしょうか。カロ○ーメイト、と言えばこの手の商品の総称として定着している気配もありますし、実際今回も「バランスパワー」の事を書いているにも関わらず、記事のタイトルは「○ロリーメイト消費期限」なのでした。

70年代半ばから90年代初めまで行われ、当時大人気だった夏のジャズ・フュージョン系フェスティバル「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」。実際に自分の足を運んだのは88年、89年、92年の三回だけでしたが、特に印象深かったのはテレビ鑑賞した1983年です。
新作「プロセッション」をリリースしたばかりの新生ウェザー・リポートが来日し、オマー・ハキムとジョー・ザビヌルが火花散るドラム&シンセ・バトルを展開。一緒に来日したクルセイダーズ(当時大好きでした)のゲスト、ラリー・グラハムがピンクのジャケットで"Soul Shadows"を歌う姿も記憶に新しい。チック・コリア〜ミロスラフ・ヴィトウス〜ロイ・ヘインズのトリオでは、ヴィトウスの抱えるベースが小さくてビックリ。(実はヴィトウスが大きかった。)そしてソニー・ロリンズのカルテット(パット・メセニー、アルフォンソ・ジョンソン、ジャック・ディジョネット)。
どうでもいいですが過去のライブ・アンダー・ザ・スカイ記録映像、ライブラリー化してリリースされないものでしょうか。絶対に需要があると思います。

↑↑↑ライブ・アンダー・ザ・スカイにおけるV.S.O.P.伝説のパフォーマンス。
いつも周囲の人々にも話している事なのですけれども、ラーメンとライスを一緒に食べるという文化にどうしても馴染めません。松本零二の四畳半漫画ではラーメン&ライスは大変なご馳走として描かれており、そういった刷り込みの部分では心のどこかに憧れを抱きながらも、炭水化物同士の取り合わせにはどうしても違和感を覚えてしまいます。一般にどう認識されているのかはよく分かりませんが、私にとってのラーメンはあくまでも主食であり、やはり主食に必要なのはおかずではないでしょうか。(ギョーザとか。)
ラーメンだけでは腹一杯にならないからライスも頼むのだと言われればそれまでですが、それは最初からラーメン大盛りを注文するなり、後から替え玉をするなりで簡単に解決する問題です。例えば、ご飯だけでは足りないからと言って一緒にパンを喰らうでしょうか。
ただし、頭で韻を踏んでいてリズム感は良いので、言葉の響きとしては嫌いではありません、ラーメン・ライス。
※ラーメンとチャーハンの組みあわせなら、何故だかアリだと思えてしまうのですが、その違いがどこにあるのか自分でもよく分かりません。


55才以上限定、人生最後のファッション雑誌「Z」の表紙モデルに元ウェザー・リポートのキーボーディスト、ジョー・ザビヌルらしき人物が起用されていてちょっと驚いたのは昨年暮れの事でしたが、やはりこれは本人であり、しかも単発ではなくて雑誌のイメージ・キャラクター(?)を務めている様子で、その後の号の表紙にも登場しています。

「Z」と言うのはズバリ爺さんの「爺」だそうです。「Z」は日本語でold manの事ですよ、だから貴方を選んだのですよ、とザビヌルにはちゃんと説明してあるのだろうか…。まあどんな形にせよ、日頃は日の当たらない(あくまで「世間一般で」という意味ね)ジャズ・ミュージシャンが、こうして音楽関係以外のメディアに登場するのは楽しいものです。

後期WRの幕開けとなった「プロセッション」(1983)。マンハッタン・トランスファーのゲスト参加も話題になった本作は、何と言ってもオマー・ハキム(ds)〜ヴィクター・ベイリー(b)〜ホセ・ロッシー(perc)の新リズム・セクションの活躍が聴き所です。特にツボなのは、アルバム的にはどちらかと言うと捨て曲の部類に入るかな(?)と思われるオマー・ハキム作曲の"Molasses Run"。オマー自らがギターでメロディーを奏で、エフェクト的なボイスも担当。テーマの後にサックス、シンセの順でソロ・パートが現れるのですが、この時のヴィクター・ベイリーのブリブリしたべース・ラインの動きがメチャクチャカッコいい。気が付くと、この曲ばかりをリピートして聴いている私がいるのでした。(ちなみに、後年ヴィクター・ベイリー名義のライブを見に行って彼に声をかけてみましたが、オネーチャンとの会話に夢中で私にはてんで生返事なお茶目さんでしたよ。まあ単に、私の話しかけたタイミングが悪かったのでしょうけれども。)
ジョー・ザビヌルとウェイン・ショーターは、70歳を超えた今もそれぞれ充実したソロ活動を繰り広げるというジャズ・シーンの魑魅魍魎、もとい大巨匠と化していますが、今もWRが存続していたらさぞや面白かろうな、と時々考えます。一方で、あれだけアクの強そうな二人の蜜月がよくぞ十数年も続いたよな、とも思います。

私は菜食主義者です。しかし時々肉を食べます。つまり菜食主義者というのはウソなのですが、元々言行不一致な人間なのでこれは大した問題ではありません。強いて言えば準・菜食主義者と言ったところでしょうか。実際2〜3年は肉を全く食べない時期もあったのです。そして血液検査をした結果、肉ナシでも血中のタンパク濃度に問題ないことが分かったので、これで良し(意味不明)という事で完全菜食から脱却しました。
そんな私に、家人がラムのカレー風味焼きを作ってくれました。菜食主義なのに肉が食べられるとは便利ですね(←まだ言ってる)。ブログに載せて世間様に自慢したいので是非写真を撮らせて欲しいと申し出たところ却下されたので、根が素直な私としてはそれに抗わず、新聞に載っていたレシピの写真を無断転載しておきます。


ラジオが一家団欒の中心にあった1940年代の風景を描きながら、過ぎ去った時代と古き良きアメリカを懐かしむかのようなウディ・アレン監督/脚本のノスタルジック・ムービー。ラジオに夢中だったウディの少年時代の思い出が下敷きになっていると思われます。
ポスターで歌う女性は当時のアレンのパートナー、ミア・ファーローラジオ・ドラマのヒーローに入れ込む少年、曰くつきの男とばかり付き合ってなかなか結婚できない叔母、共産主義者の隣人と口論して逆に論破され、資本主義の矛盾を説き始める叔父、ラジオ・パーソナリティを夢見るウェイトレスなどなど、家族とラジオの様々なエピソードを当時のヒット曲やスイング・ジャズと共に積み重ね、比較的淡々と物語は進みます。(オーソン・ウェルズの有名なラジオドラマ「宇宙戦争」に関わる話題も登場。)断片的な状況描写の背景には芯の通った筋運びがある訳でもないのに、ラストに残るこのしみじみとした余韻はどうでしょう。音楽の使い方もバツグンで、当時の音楽背景など知らない身でも「懐しさ」で胸が満たされること必至。
「ラジオ・デイズ」が公開された1987年頃の私は、正直この作品にはさほど感銘は受けませんでした。しかし、近年は大好きな一本になっています。「次第に記憶から薄れ行く少年時代」を描いた内容は、子供の頃の記憶も鮮明な若い自分にはあまりピンと来なかったのかもしれません。
Radio Days/Woody Allen
月に向かう途中で絶体絶命のアクシデントに見舞われ、月面に到達するどころか地球への帰還さえ困難となったアポロ13号。その史実に基き、アポロ乗組員とヒューストンが一丸となって危機を乗り越える様を描くドラマです。史実に則っているからには結末は当然知れ切っている訳ですが、それでも思わず感動させられるとは全く良く出来た映画だと思います。トム・ハンクス、ケヴィン・ベーコン等のアポロ搭乗組を演じた俳優陣もさることながら、ピンチに陥ったクルーを地上からサポートするエド・ハリス(シブい)、ゲイリー・シニーズ(激シブ)が強い印象を残します。また、CGを使ったアポロ打ち上げ場面も公開時にはかなり話題になり、アポロ計画当時のNASA関係者が「こんな記録映像がどこにあったんだ?」と驚いたとか驚かなかったとか。

今となってはご存知ない方も多いかもしれませんが、「アポロ13」のロン・ハワード監督はジョージ・ルーカスの青春ドラマ「アメリカン・グラフィティ」(1973)で主役を演じていた俳優。(元々、子役出身だそうです。)まだ20代前半だった1970年代半ばから監督業に乗り出し、80年代には「スプラッシュ」、「コクーン」等のヒット作を生んで、今や大作、話題作を次々と任されオスカーも獲得する大監督となりました。「アメリカン・グラフィティ」の時の、まだあどけなさを残した風貌が強く脳裏に焼き付いているので、現在の大物振りがいまだにピンと来なかったりします。
当時の映画雑誌では、彼の初期の監督作品はあまり好意的に取り上げられていなかったように記憶しています。その後見事に羽ばたいたのは本人の才能ゆえか、それとも継続は力なりの言葉通りだったのか。いずれにしても素晴らしい事です。

「アメリカン・グラフィティ」の頃のロン・ハワード。まだティーンエイジャーです。
タイムマシンがあったら、「キミは30年後にオスカー獲るよ」と伝えに行きたい。
フロントガラスに輝く朝露。
渋滞を追い越して道を急ぐ自転車。
隊列を為して通学路を行く小学生。
雨上がりの青空に
風が運んだ花粉でクシャミ三連発。


不朽の名作「幸福の黄色いハンカチ」のハリウッドリメーク決定
山田洋次監督(75)の不朽の名作「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の米リメーク版製作発表会見が12日、東京・ホテル西洋銀座で行われた。16年前に話が持ち上がっておきながら何度も頓挫しかけた企画だけに、山田監督も「きょうは感慨無量の日です」。高倉健(75)が演じた主人公は米アカデミー賞俳優、ウィリアム・ハート(56)が務める。平成21年春に日本公開の予定。(サンケイスポーツ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
見出しだけ見たらこれはどうなんだろうかと思ってしまいましたが、ウィリアム・ハートが主演と聞いてちょっと興味が湧いてきました。一般ウケ狙いの二枚目俳優がキャスティングされなくて何よりです。(などと言ったらウィリアム・ハートに失礼ですが。)北海道の炭坑地帯の鄙びた雰囲気は、ハリウッド版ではどう料理されるのでしょうか。それとも、設定が全然違うものになるのでしょうか。

あれからもう30年ですねえ。皆若かった…。
ドリ・カイミは自己の名前を冠したアルバムを何枚も出しているのですが、これは彼がブラジルから米国に拠点を移した後にリリースした1980年代後半の作品。バック・ミュージシャンもドン・グルーシン(シンセ)、カルロス・ベガ(ドラム)、ジミー・ジョンソン(ベース)、アルフォンソ・ジョンソン(ベース)、グラシーニャ・レポラーセ(コーラス←セルジオ・メンデスの嫁さん)等々、米国のスタジオ・プレイヤーが中心です。一曲でドリの妹のナナ・カイミ(ボーカル)もゲスト参加。プロデュースはセルジオ・メンデス。
ドリの繊細なギターと渋めの声に爽やかな女性コーラスが重なる様は、とてつもなくビューティホーです。ブラジル時代のドリのアルバムも良いのだけれど、アメリカのセッション・ミュージシャン(とは言っても、一部の方々は実はブラジル出身だったりしますが)による洗練された演奏は、ドリの紡ぐ美しい楽曲を非常に的確な形で描画しているように思える、というのが個人的感想。ブラジルのミュージシャンが北米でレコーディングすると、「なんだかんだ言ってもやっぱりブラジル録音の方が味があるね」という印象になりがちだと思うのですが、ドリ・カイミの世界に関して言えば、北米録音は功を奏しているのではないかと思います。特に一曲目"Gabriela's Song"と四曲目"Obsession"が気に入っています。
ここでパーカッションを担当しているラウジール・ヂ・オリヴェイラは、元々ブラジル出身。セルジオ・メンデス&ブラジル'77に参加した後、シカゴの正式メンバーも務めたプレイヤーです。本作でもウッドブロックやカシシ、トライアングル、コンガ、ボンゴなどを巧く使って、元々カラフルな演奏に更なる色合いを付け加えているという印象。複雑な事は一切やっていないのですが、シンプルながらも効果的な演奏のお手本です。

Dori Caymmi
人気戯曲を映画化した1972年度作品。探偵小説家の老人と、その妻を寝取った美容師の丁々発止のやりとりを描く室内劇。老人をサー・ローレンス・オリビエが、美容師をマイケル・ケインが演じており、屋敷を訪ねてくる刑事が一部で登場する以外は、全編ほぼ二人だけの競演になっています。2時間20分に渡る長尺作品ですが、互いに相手を出し抜こうとする両者の息詰まる策謀が交錯してグイグイと引き込まれ、観る者をまったく飽きさせない見応え抜群の一本となっています。二人は揃ってこの年のアカデミー主演男優賞にノミネート。
ひとつ惜しまれるのは、これほどの名作がなぜか国内でDVD化されていないという事実。過去にビデオ化されたことはあるので(現在は恐らく廃盤)、大きなレンタル店には置いてあるかもしれません。現在はサーの称号もついてすっかり巨匠となったマイケル・ケインとジュード・ロウの共演でリメイクが企画されているとの事で、ちょっと楽しみであると同時に、この機に1972年度版もDVD化されないものかと期待しております。


無料ダウンロードは
2008年8月末日で終了しました。
ありがとうございました。こちらでフルトラックの試聴(6曲)が出来ますので、よろしければ是非お試しを。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
音楽ダウンロード・サイトmF247で、私の楽曲の無料ダウンロード(2曲)をやっております。以下リンクからダウンロード出来ますので、是非お試し下さい。メンバー登録などは不要で簡単に落とせます。

↑現時点での最新作、MUNDO NOVO/MUNDO NOVOから"Love Birds' Love Beads"
女性ボイスのスキャットをフィーチャーした、オーガニックなジャズボッサラウンジ・チューンです。

↑2003年リリースのPerpetual Motion/Takero Ogataから"Muse on Muse"。
ラテンジャズ・エレクトロニカです。
お楽しみ頂ければ幸いです。

感動の人間ドラマ「めぐりあう時間たち」については
先日記しましたが、映画のクオリティ向上に大きく貢献している重要アイテムながらも一切触れなかったひとつの要素があります。ズバリその「音楽」です。
現代音楽作曲家のフィリップ・グラスが手掛けたサウンドトラックが、実に実に実ーに素晴らしい。ピアノやストリングスの、時に無機的にさえ聞えるアルペジオやフレーズは特に激情にかられる訳でもなく、あくまでもニュートラルに淡々とした色合いを醸し出しだす。しかし同時に、そこには深い哀しみと慈しみが満ち満ちているのです。とは言え、それは安っぽいメロドラマにありがちなお涙頂戴の物悲しさではない。そこに脈々と流れ打つのは、単に「嬉しい」とか「哀しい」などの一面的な感情を表すに留まらない、幾重にも折り重なった人間の複雑な想い。この音楽が劇中に一貫して流れることで、時代の異なる三人の女性達のそれぞれの人生が一つに繋ぎ止められ、大きな流れの中で結び付いて一点に向かっていく。その役割の大きさは絶大です。映画そのものの印象についても言えることだけれども、知性的でありながら同時に情感的なこの音楽は、聴く者に何かを感じさせずにはおりません。
原作者のマイケル・カニンガムは三十年来のグラス・ファンだったそうで、本作の映画化に際してグラスが音楽を担当すると知った時には、運命の不思議を感じたそうです。また、映画自体の出来映えにもカニンガムは非常に満足しているようで、(DVD副音声の解説に監督と共に登場していることからもそれが伺える)、多くの小説が映画化によって原作と全くの別物になっている現実(良い意味でも悪い意味でも)を考えると、彼は大変幸福な作家と言えましょう。
フィリップ・グラスは、元々ミニマル・ミュージックを追及していた作曲家。(この「めぐりあう時間たち」をはじめとする近年の作風は、必ずしもミニマル・ミュージックの範疇には入らないようですが。)現在の所属レーベルも、スティーブ・ライヒやパット・メセニーと同じノンサッチ・レコードです。禁欲的ながらも人間の感情に強く訴えかけてくる彼の音楽性に、俄然興味が湧いてきている昨今。

最近、何にでも感動してしまうようになりました。映画、音楽、自分を取り巻く全ての周辺状況から、今まで得ていたよりも濃密な情報を感知している様な気がします。(それが「思い込み」ではないことを祈ります。)もちろん、自分が人様よりも感受性鋭敏だなどとヌケヌケ言うつもりはありません。むしろ今まで、自分の「感じ方」が人に比べて鈍いんじゃないかという疑いをずっと抱いていたので、それがやっと人並みになったのかもしれないと喜んでいるのです。
理由として考えられるのは
(1)これまで地道に育んできた感受性が臨界点に達し、ついにコップから溢れだした
(2)単にトシをとって涙もろくなった
(3)情緒不安定
個人的には(1)であって欲しいと願っていますが、さてどうでしょう。


先日テレビでやっていたので、チラチラ鑑賞しました。劇場公開以来なので見るのは約28年ぶりですが、意外とハッキリ内容を覚えているものですね。地球上でおフザケをやり尽くしたボンドが、スぺース・シャトルでついに宇宙に飛び出す物語。(ちょっと違うか。)
公開当時のポスター、懐しや「007は二度死ぬ」で丹波哲郎率いる忍者部隊と共に阿蘇山のロケット基地に突入する、というおバカをやった後は「女王陛下の007」でシリアス・アクションに模様替え、この「ムーンレイカー」で宇宙に行った後は次の「ユア・アイズ・オンリー」でやはりハードボイルド路線に戻る、といった具合に、硬軟を行ったり来たりするという歴史を繰り返してきたのが007シリーズ。その中でもマンガっぽさ、荒唐無稽さがピークに達していたのが本作です。
前作「私を愛したスパイ」で人気の出た、鋼鉄の歯を持つ殺し屋ジョーズが再登場しておちゃらけ振りを大いに発揮している他、堀内孝雄(アリス)をオカッパ頭にしたようなヘンな日本人が、剣道着に竹刀でボンドに襲いかかります。これが西洋における日本人イメージかと心底ガッカリさせられる瞬間です。つい先日、シリアス路線の極め付けの新作「カジノ・ロワイヤル」を見たところなので、バカバカしい「ムーンレイカー」を見ているとあまりにもそのギャップは大きかったですが、とりあえずシリーズ三回目の登場となるシャーリー・バッシーの主題歌は、歴代ボンド映画の中でも屈指の出来映えだと思います。
そうは言っても、これは私が映画に目覚めた頃に夢中で見ていた作品であり、憎めない一本であることに変わりはナシ。「ムーンレイカー」を否定する事は、すなわち自分の過去を否定する事です。「あんな女に引っ掛かって自分はバカだった」と後悔するよりは、「ああ良い体験をさせてもらった、これでひとつ利口になった」と考える方が人生実りが大きいです。ちなみに私はロクでもない女性に溺れた事はありません。ところで全然関係ありませんが、シャトルの乗組員だったという女性飛行士が三角関係の果てに起こした傷害事件。当事者間では笑い事ではすまされないだろうとは思いもするものの、高度な教育を受け訓練に訓練を重ねたエリート宇宙飛行士も実はただの生身の人間なのだという事実に、ちょっと親しみを覚えたりもするのです。

グロッケンと言っても本物ではなく、オモチャのそれです。平たく言えば「鉄琴」。Lampの新曲レコーディングで使用しました。玩具とは言え、ちゃんと半音階も演奏できる上に音も綺麗なのでなかなか楽しいものです。録音では、弦のカルテットの奏でる旋律とユニゾンのフレーズを演奏して楽曲に彩りを添えています。
2007年3月にリリースされるそうなので、また発売時にはお知らせします。グロッケン云々は別にどうでもいいのですが、とにかく曲がいいですよ〜。


YUTAKA(横倉裕)が1970年代前半にやっていたという日本語ブラジリアン・ポップス・バンドがnovo。当時、フル・アルバムのレコーディングまで終えていたものの、先行発売したシングルの売上が振るわず、長年オクラ入りになっていたのだそうです。
セルジオ・メンデスに影響されたというサウンドはズバリ、セルメンをそのまま日本語歌詞にしたような印象。その仕上がりは非常にセンスが良く本格的な物だと思うのですが、こういう音楽が三十年も埋もれていたというのは運が悪いのか、それとも三十年後に日の目を見た点でまだ運が良いと言うべきか。特に一曲目の「白い森」が大好きです。YUTAKAの高い音楽性が早くもここに開花しています。良く出来た音楽それ自体に純粋に感動させられると共に、当時は若かった(20代前半位?)メンバーの情熱が時間を超えて、それも三十年ぶりに伝わってくるという背景の物語性にも、ちょっとホロリとさせられてしまいます。
結局、横倉裕はその後に単身で渡米。実際にセルジオ・メンデスに渡りをつけて、70年代末にはデイブ・グルーシンのプロデュースでアルバムのリリース(YUTAKA名義の"LOVE LIGHT")に漕ぎ着けてしまったのだから、その行動力には驚きます。(グルーシンは一時期のセルジオ・メンデスのアレンジを担当していたので、セルメン繋がりで彼に辿り着いたのでしょうか。)その後のYUTAKAはGRP等から4枚のソロ・アルバムをリリースし、シーウィンドのポーリン・ウィルソンやセルジオ・メンデスのケヴィン・レトーのプロデュース等を行ない、2006年のセルジオ・メンデス来日公演にもキーボーディストとして同行。しかし、ソロ・アーティストとして近年は寡作なのが惜しまれる。次のリーダー作を待望しております。

抜けるような青空の下、軽快にデオダートなんぞを聴きながら某所に厄除けに行ってきました。いやぁこんな音楽やりたいね、などと寝言をいいながら目的地に到着し、災厄消除のお札も入手。家人が正月に寝込んだ為に初詣に行きそびれたので、遅ればせながら、2006年を無事に終えられたことに対する御礼参りです。

日頃は不信心な生活を送ってはいても、やはり神社仏閣を訪れると心洗われる思いがするものです。お護摩の後、「自分の心の内側を見つめて顕微鏡でどんどんと拡大し、その奥底に果てしなく分け入っていくと、あれれ自分の中に入っていったはずのに、なんと驚くべき事にそこには広い広い宇宙が待ち受けているではないか。まるで表も裏もないメビウスの輪を手繰っていった時のような感覚。出口のドアを開けたはずなのに、そこがまた入り口だった様な驚き。押し入れの奥に広大な草原が広がっている不思議な風景。そうか人の心と宇宙は繋がっていたのか、と掌を打ちながらよくよく眺めてみると、その宇宙の中心に神仏は鎮座ましまして、巨大なヨモギ饅頭をムシャムシャ喰っていたので御座います、デンデン」と、そんな妄想をしながら屋台でジャンボたこ焼きを買いましたが、普通のたこ焼きの方が圧倒的に食べやすいです。ジャンボだとアツアツの段階では大きすぎて口に入らず、口に入れられる段階では既に冷めている。いくつも出ていたタコ焼き屋のほとんどが「ジャンボたこ焼き」の看板を掲げていたのは、その方がよく客が釣れるという事でしょうか。皆様におかれましては「ジャンボ」という言葉に騙されず、通常のたこ焼きを食される事を強くお薦め致します。(縁日の時などに。)


ニール・サイモン脚本の1976年作品。DVDのジャケットを見ても分かるように刑事コロンボのピーター・フォークが出ているのが一番の売りなのですが、どっこい、彼が小物に見える程の豪華キャスティングこそが実は興味をそそる一作です。アレック・ギネス、デイヴィッド・ニヴン、ピーター・セラーズ、マギー・スミス、エルザ・ランチェスター等の名人達人がこぞって出演。やはり名優の存在感というのは大変な重みがあるもので、そこに「いる」だけで映画が成立してしまうという意味では、大俳優をズラリと並べた本作、それだけで見る価値があろうというものです。もちろん「いる」だけでは到底終わらない訳で、皆がさすがの名演を繰り広げます。
変わり者の大富豪が世界中の名探偵を屋敷に集めて知恵比べを挑むという、密室推理劇であり探偵小説パロディーでもある本作。映画としては最後のキメがもうひとつアマい感もありますが、脚本の面白さと各俳優の怪演により、見応えのある内容に仕上がっていると言えましょう。また、大富豪を演じるのが作家トルーマン・カポーティ(映画ファンには「ティファニーで朝食を」の原作者としても有名)というのも面白いところで、演技をしているのか地のままなのか、恐らくあれが地なのでしょうが、妙な個性が役にピッタリとハマっています。
音楽はデイブ・グルーシン。若き日のジェームズ・クロムウェル(「ベイブ」や「LAコンフィデンシャル」などで近年大活躍)も登場し、探偵お抱えの運転手を演じています。アイリーン・ブレナン(「スティング」でポール・ニューマンの情婦を演じた女優)もハスッパな感じを強烈に匂わせてすごく良かった。個人的には、アレック・ギネスのさすがの芸達者ぶりが取り分け忘れ難い作品です。
↑↑↑ブログランキングに参加中。クリックお願いします。
漫画家の浦沢直樹の日常の仕事ぶりに密着したドキュメンタリーを見ました。彼の代表作のひとつ、「MASTERキートン」は考古学への情熱と冷戦後の激動の東欧情勢とを軸に主人公周辺の悲喜こもごもの人間模様を描いた傑作で私のバイブルとなっており(原作者との権利問題のせいで今は絶版なのが惜しい)、そういう意味でもその創作現場に大きな興味があったのですが、単なるファンとしての視点を超えて感動を与えてくれる内容でした。

スタジオに招かれた浦沢がカメラの前でささっと描いて見せた人物画。漫画や絵の躍動感を言い表すのに「今にも動き出しそう」とはよく使う表現ですが、単純な線の組み合わせによる顔の輪郭と目鼻、これが「今にも動き出しそう」。ペンで描いた一本の線だけでこんなに感動するとは我ながらちょっと意外で、少しウルウル来てしまいました。
言うまでもなく、よく練られたストーリーやそれを示す上で最も効果的な構成、深みのある人物描写などにも画力だけに頼らない高いクオリティが保たれている訳ですが、とにもかくにも「線一本」で人の心を動かすという絵描きとしての基本中の基本の動作に込められた凄みに、その人気の秘密を見る思いがしました。

公私に渡るパートナーだったミア・ファーローとの共演時代で最も成功した一本というだけでなく、「アニー・ホール」と並んでウディ・アレンの代表作と目されている「ハンナとその姉妹」(1986)。ミアを主人公とする三姉妹の結婚生活や恋愛模様を描く、いわば一種の人生賛歌。アレンの描く物語の中でも、人生に対する肯定的な姿勢が最も強く滲み出た一作だと思います。(じゃあその他の作品が人生を否定的に捉えているかというとそうではなく、反語的な意味も汲み取ればやっぱりそれらも肯定的なのだと思いますが。)キャストが重厚で、英国の名優マイケル・ケインにアレン作品の常連ダイアン・ウィースト、そしてアレンが大きく影響を受けているベルイマン作品に多く登場していたマックス・フォン・シドーも出演。
手掛けた多くの作品から感じられる厭世観や虚無感からか、アレン本人もシニカルでネガティブなタイプの人間かと思われがちでしょうが、何かで見聞きした話では、本人かなり人生をエンジョイしている様子。この「ハンナ〜」では、アレンは脇役の一人として人生の意味に囚われる神経質な人物(そしてこれはアレンがしばしば演じるタイプの登場人物でもある)を演じていますが、彼が劇中でマルクス兄弟の映画を見て「人生はただ(それを受け入れて)楽しめばいいのだ」と気付くあたりに、アレンの本意がはっきり現れているのだと私は受け止めています。

