ここ数日、毎朝の様にMarcos Valleの"Samba'68"を聴いています。「サマー・サンバ」や「バトゥカーダ」などのボサノヴァ・スタンダードが収録された名盤。私が床を這いずり回っている時代(厳密にはもう直立歩行していた)にこんな小粋な音楽が創られていたのですから、やはり先人の事は敬わなければいけません。
もちろん、尊敬するべきはマルコス・ヴァーリ一人に限らない訳ですが、私にとっては(特に彼の後年のアルバム・ジャケットを見ると感じるのですが)ヴァーリはなんだか異様にチャラチャラした人に思えるのですよ、実際の人となりは知りませんけれど。例えば泰然自若とした(ように見える晩年の)ジョビンが優れた音楽をこしらえるのは至極当然だろう、というイメージが私の中にある一方で、チャラチャラした(ように見える)マルコスが緻密で洒脱な音楽を創っている様子は、必要以上にスゴい事であるかのように感じられる訳です。一見チャランポランそうな若者がちょっと挨拶するだけで、ものすごく礼儀正しい人間に見えてしまうのと同じ理屈ですね。
ヴァーリの音楽の事にもロクに触れずにふざけた話ですが、最初に述べたように彼のことは尊敬しております。(たぶん必要以上に。)特に気に入っているのは、以前にも紹介した
Marcos Valle (1974)です。


後年のアルバム
自家栽培の巨大な大根を頂きました。やたらと太いです。とりあえずホッケの付け合わせに大根おろしにしてみましたが、おろしてもおろしても一向に減る気配がなくてすっかりくたびれてしまい、このまま大根と共に命運尽き果てるかと思いました。また、大きさに驚かされただけでなくその美味しさと辛さにも驚嘆。やはり取れたては一味違いますね。極めて普通の感想ですが、あまりにもスーパーの品と味が異なるので一言書かせていただきました。デカ大根の写真を撮っておかなかったのが悔やまれます。(後日食べたブリ大根も、やはりウマかったです。)
代わりに巨大カールをどうぞ
劇場で観てとてつもなく感銘を受けた一本、久し振りにDVDで見直しました。異なる時代に生きる三人の女性のある一日の出来事を並行して描きながら、人間の営みの輝かしさと哀しさを浮かび上がらせる傑作。先日紹介した「
エターナル・サンシャイン」とはまた違った角度で、独特の時間感覚を持った作品です。(何しろ原題が"The Hours"ですから。)
ニコール・キッドマンが1920年代の作家ヴァージニア・ウルフを、ジュリアン・ムーアが1950年代にウルフの小説を愛読する満たされない主婦を、メリル・ストリープがとあるパーティを主宰する現代女性を演じるという、大女優達の豪華競演が見物。中でもジュリアン・ムーアは天才的です。彼女の演じるのは感情を押し殺して周囲に悟らせまいとする難役で、本来は外側には見えない「心の葛藤」を演技で表現するという矛盾した仕事を、見事にこなしています。また、最初はジュリアンの名演に気を取られて個人的に印象が薄かったのですが、ニコール、メリルともに一世一代の快演をしており、今回改めて見直してそこにも打ちのめされました。主要俳優だけでなく、端役に至るまでの全ての芝居が完璧!作り物とはとても思えない。
また、脚本や編集、演出の完成度も凄まじく、ここで言葉で言い表すことはとてもできません。直接的に接点のない三人の女性の人生の一コマを巧みに関連づけて観客に示してしていく、その確かな手腕と計算にはトリハダが立ちます。主演の三人も、バラバラに撮影された三人各々のシーン(実質的に三人の共演シーンはない)が一つに繋がっていく様子を試写で観た時には本当に心打たれたとのことですが、彼女等の感動も良く分かります。三者三様の人生が目まぐるしく切り替わりながら同時に描かれていくので、正直なところ一回目は筋を追うのに精一杯でしたが、二回、三回と回を重ねるにつれ、映画の主旨や意図がより明確になってきます。その点で、繰り返し見るほどに味わい深い作品とも言えます。音楽などと違って映画を何遍も見返すという事は少ないと思いますが、これは見れば見るほど発見のある一本です。
また、監督、原作者、主要俳優三人の音声解説も実に面白い。最近のDVDには特典としての副音声の解説がつきものですが、これほど興味深い関係者解説を私は他に知りません。監督の狙いや俳優の解釈などを本人の口から聞くにつけ、なるほど〜と膝を打つ事しきりです。幼い子役(当時六歳)の様々な表情を撮るのに、実は監督や俳優がカメラの後ろで「ジャックと豆の木」のお話を聞かせていたというエピソードも面白い。(この子役が映画の中では非常に重要な役割を演じており、その童話に反応して撮られたという切実な表情のひとつひとつが大きな意味を持ってくるのです。)
確かニコール・キッドマンも解説中で触れていましたが、本作は極めて理知的な作りでありながら同時に深い感情に満ちており、物事を冷徹に突き放すところが全くない。全ての登場人物に作者(原作者および映画の作り手)の愛が感じられ、人生を愛おしく思う気持ちが滲み出ています。私もいつの日かきっと、こういう作品を創りたいです。(別に映画を撮りたいという意味ぢゃないよ。あくまで音楽での話。)

今月の某紙連載コラム「私の履歴書」は、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士(えざきれおな・はかせ)です。えざきれおな=江崎玲於奈で一発変換しました。半導体における量子力学的トンネル効果を実証された方です。(詳しくは私には聞かないでください。)
ところで人間を大ざっぱに理系、文系で分けるとしたら私は文系人間。(実際の人間はそんな単純に二分できるものでないことはわかっちゃいますが話の便宜上。)数学センスや物理センスのカケラもなければ論理的思考能力にも乏しく、行動原理は全て直感と衝動と思い付きという三歳児レベルですが、乳幼児とは一線を画する部分としてなぜだか量子論に魅かれるものがあり、初心者向けの入門書など眺めては悦に入っています。理科系、苦手なのになぜか興味があるんですよね。大してよく理解もしていないのに喜んでいるあたりは利口なのかバカなのか計りかねますけれど、単なる不確定な現象の集合体に見える「現実世界」の解明、ひいては、これまで科学の対象になっていなかった人間の「意識」までも記述できるのではないかという期待感を量子論に対してシロウトなりに抱いており、まあその事と直接関係がある訳ではないけれど、江崎博士の連載も興味深く読んでいます。(専門的な話になるとサッパリ分からないのですが。)

「科学」と「芸術」(ちなみに私のやっている事は芸術ではなくてただの商業音楽です)は一般に全く相容れない物だと考えがちですが、実はどちらを成し遂げるにも「創造力」が不可欠という点で共通しているというのは面白いところです。そういう意味では、実績ある科学者の考え方に触れるというのはなかなかの創造的体験とも言えましょう。また、「科学」の対義語のひとつに「宗教」(特定の団体や教義の事ではなくてもっと普遍的で本質的な「信心」を指す)が挙げられると思いますが、これもお互い違う角度から物事を見ているだけで、実は見つめている対象は同じなのかもしれないな、と思います。

1979年、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルにおけるエルメート・パスコアル・グループの衝撃ライブ音源です。これを衝撃と言わずして何を衝撃と称したら良いのか、そういう感触の爆発的な実況録音盤。ジャズフェスという場のせいもあるのか、彼の作品の中でも特にジャズ色を強く感じる一枚。
アルバム冒頭には英語と仏語による司会者バンド紹介が延々一分半に渡ってキッチリ収録されており、それに対する観客の反応からその期待と熱狂が感じられます。(モントルーでのライブ盤というのは多くのジャズ・ミュージシャンがリリースしていて、そこにMCが収められている事もしばしばですが、これほど長尺なMC収録は珍しい気がします。)ステージに現れたエルメートはソプラノ・サックス、テナー・サックス、クラビネット、メロディカ(ピアニカ)などで圧倒的な演奏を繰り広げ、聴く者は空いた口が塞がらないという状況に陥ること必至。凄腕のバックバンドの演奏も目覚ましいけれど、とにかくエルメートの鬼才ぶりがこれでもか、これでもかとあばかれていくのがなんとも爽快、奇怪。
複雑なメロディー・ラインとミステリアスな響きを持つ楽曲群が、まず非常にスリリングであります。そして怒濤のボイス・パフォーマンス、唸る超速弾きメロディカ、聴衆の手拍子を伴奏に繰り広げられるテナー・ソロ、声とのユニゾンでどこまでも疾走していくクラビネット・ソロなどなど、従来のジャズ語法とはやや趣を異にするインプロヴィゼイション手法のワン・アンド・オンリーな世界には、誰もが打ちのめされる事でしょう。また、ホテルで作曲したばかりという美しい小品「モントルー」の叙情的なフルートの調べも印象的で、ただ奇抜なだけの音楽家ではないこともここで明白となります。(こうした明らかにメロディアスなナンバーだけでなく、どんなにキテレツでアグレッシブな曲や演奏にも、彼の音楽からは途方もない「美しさ」が感じられるのです。)
ここ数年は入手困難な状況が続いていた本盤ですが、2006年秋に再発されて入手が容易になったのは人類にとってかけがえのない重大事です。また何年か後に廃盤になってしまう前に、是非ともお聴きになることをお薦めいたします。

私の感想は「なんか顔みたいやなあ。」
勤め先の人の意見も「顔みたいだね。」

通勤電車の向かいのオジサンも鞄をじっと見ていたそうです。

「恐竜家族」は、90年代半ばにNHKで放映されていた米国製のシットコム。通常のドラマと違うのは、その名の通り登場人物が全て「恐竜」だという事。彼等が地上を闊歩していたジュラ紀だか白亜紀だかを舞台にして、うだつのあがらないダメ親父アール・シンクレアの一家(妻、高校生の息子と娘、赤ん坊、老母)を中心にした日々のあれこれを描きます。
親父のアールと息子のロビー着グルミを使っているので子供向けドラマかと思いがちですが、その着グルミも表情が豊かに動く大変精巧な造りである上に、物語の中味もかなりシュールかつブラックな、むしろ大人向けコメディ。環境問題に一石を投じるかのような設定の元(大手開発会社WE SAY SOに勤務するアールは、木を切り倒す仕事で森林破壊を助長している)、特に視聴率至上主義のテレビ局やそれに振り回される愚かな大衆を扱ってのテレビ社会風刺が顕著です。テレビ大好きな低能亭主のアールとブレーキ役の賢妻フランのコンビネーション、そしていかにも今どきの若者の子供達や能無しの同僚達との日常が笑えます。(ただし最終回は、その環境破壊が元で地球に氷河期が訪れてしまうという、ひどく救いのない内容。現実世界の環境破壊に対する強い警鐘という事なんでしょうが、それにしてもコメディにしては意外なエンディングでした。)
制作はジム・ヘンソン・プロダクション。故ジム・ヘンソンはセサミ・ストリートなどで有名なマペット製作者であり、操り人形師でもあります。切に再放送を希望します。

高校生のロビーとシャーリーン

巷では結構なクラシック・ブームらしいです。そしてそのブームの立役者は皆さんご存知、音大を舞台にした人気コミックス「のだめカンタービレ」。大人買いするほど立派なオトナでもないので私は未読なんですが、ジャンルこそ違えども同じ音楽人、とても興味があります。
そういった中、さて他に何か音楽漫画、取り分けジャズ漫画はなかったかなと脳内検索すると、細野不二彦の「BLOW UP」が真っ先に思い起こされます。大学中退してジャズ修業しながら成長していく若きサックス奏者の生き様を描いたこの作品、非常によく取材がしてあって、ジャズ・ミュージシャン(またはジャズ・ミュージシャン予備軍)がいかにも考えそうな事、いかにも言いそうな事、いかにも陥りそうな諸問題などが克明に描写されております。若い頃は真っ当なジャズの道を志していた私(今は大きく道を踏み外しております)としてはとても他人事とも思えず、相当に唸らされたものです。

スポーツ漫画も過去には野球、サッカーなどの花形競技が中心でしたが、その後は卓球、相撲などにまで裾野を広げています。一方、音楽分野ではクラシックも描かれた。ジャズも描かれた。ここいらでジャズ/ブラジル/ラウンジ混合音楽専門のミュージシャンを主人公にした漫画を誰か描いてくれないでしょうか。元来は真面目なジャズ奏者を目指していたが、いかなる運命のイタズラか神の戯れか、その後のキャリアは紆余曲折を辿り、音楽が多様化複雑化し技術革新も起こって制作スタイルの選択肢も増える中、自己の演奏家としての自負を心の拠り所にしつつ様々な現代的音楽制作手法に手を染めながら成長していく理屈っぽいオッサンが主人公。清濁併せ呑む中で繰り広げられるロマンスとサスペンス、笑いと涙。浦沢直樹あたりが手を挙げてくれると非常に嬉しいです。そして空前絶後のジャズ/ブラジル/ラウンジ・ブーム到来、私もブームのおこぼれに預かる、と。

先日
1stアルバムを紹介させてもらったLamp(
公式サイトはこちら)ですが、2007年1月現在、公式ブログにも記されている様に新曲のレコーディングが行われています。これが実に素晴らしいのです。緻密に構築された楽曲に的確なアレンジ、美しいコーラス・ワークに切なく哀しい歌詞。文字通り、鳥肌モノです。いやあ、いいトシして起きたまま寝言を言うつもりはありませんが、若い頃の純でひたむきな自分を思い出し、何かに激しく恋い焦がれる気持ちを久し振りに味わっています。胸が苦しく、取るもの手につかず、なんだかソワソワしてしまって居ても立ってもいられません。そしてまた、この感動パワーを自分の創作エナジーに転化していくことを考えるとワクワクが止まらないのです。

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net
寅さんシリーズ全48作、全てを見尽くしている訳ではないのでいい加減な事も言えませんが、本作はシリーズ中でも屈指の傑作だと思います。万博が行われていた1970年夏の公開作品。テキヤ稼業の風来坊、車寅次郎が馴染みの老親分の惨めな末路を見て自分の人生見つめ直し、堅気になる事を決意するも案の定、恋に破れて旅に出る。パターンはいつものお決まりですが、とにかく脚本がものすごく良く出来ています。
ひとつひとつのエピソードやセリフ回しが巧みに次の展開の伏線になっていて、それらが次々と数珠の様に繋がって行く、その見事な話運びには惚れ惚れしてしまいます。蒸気機関車(当時はまだ汽車が走っていたんですね)が物語上のキー・アイテムになっており、そういった小道具(大道具?)の使い方も巧い。今回のマドンナは豆腐屋の娘の長山藍子で、歴代マドンナの中でも飛び抜けて美しいという訳でもないと思うのですが(失礼)、ストーリー展開の上手さと相まって、いつになく魅力的なマドンナ像になっている感じが致します。本作はシリーズ5作目ですが、3作目、4作目ではメガホンを取らなかった山田洋次が監督に復帰した作品であり、恐らく渾身の一作だったに違いないと想像されます。いや、本当に良く出来た映画です。

以前に
Itibere Orquestra Familiaの素晴らしいライブ映像をご紹介しました。(未見の方は是非今からでもご覧あれ。)そのItibere Orquestra Familiaがエルメート・パスコアルの曲ばかりを取り上げたこの作品が彼等のセカンド・アルバムにして現時点での最新作、"Calendario Do Som"(音のカレンダー)です。
パスコアルが一日一曲のノルマで一年366日(丁度その年は閏年だったそうです)の間に欠かさず書きためた366曲が楽譜集"Calendario Do Som"として発売されているのですが、この中のナンバーばかりを、エルメートのベーシストを長年務めているイチベレが率いる若手オーケストラが演奏しているという作品です。楽曲タイトルは全て作曲された日付になっており(7月7日とか12月25日とか)、参加メンバーの誕生日の楽曲を取り上げて演奏するという趣向になっています。
ブラジリアンなリズムを土台にして管楽器、弦楽器、打楽器、ピアノ、ギター、ボーカルなどが入り乱れ複雑なメロディーを奏で、そこに更なるカウンター・メロディーやらリフやらがまたまた複雑に絡みあい重なりあって、楽曲中に凝縮された情報量がものすごく多い。しかし、聴き手の脳が難解さを察知するよりに先に、心の奥底の鋭敏な部分が音楽中に溢れ出ている豊かな詩情やら歌心やらを感知してしまい、考えるより先に怒濤の勢いで感動が押し寄せてきてしまうという強烈なアルバムなのです。良い音楽は世の中に沢山あって、それぞれに甲乙つける事など到底できないのですが、この"Calendario Do Som"を聴いた時に起る感情の高まりは、ちょっと他の音楽では味わえない物だと思います。エルメートもピアニカでちょこっとゲスト参加しています。
公式サイトで試聴も可能。(ついでに1stアルバムの試聴も出来ますよ。)
アルバムはCD二枚組でパッケージ・デザインも凝っており、多色刷り豪華ブックレットにはエルメート直筆の譜面(コード表記が独特でよく分からん)と、その日が誕生日のメンバーの顔写真入り。アマゾンでの定価は目玉が飛び出る程に高い(8000円超)ですが、マーケット・プレイスで委託販売している業者から二枚組CDとして適切な価格(3000円台)で購入できますので、この機会に是非どうぞ。一家に一枚、Itibere Orquestra Familia。

別に苦労話をしようという訳ではありませんが、ちゃんとした曲を作るというのは楽しい作業であると同時に、かなり根気のいる事でもあります。才気ほとばしる俊才ならともかく、自分の様な凡人にとっては特に。世間には「私が鼻歌で曲を作ると、スタッフがコード進行を考えてくれるんです」などという恵まれた境遇(?)のアーティストもおられるようですが、残念ながら私にはそんな有難いスタッフはいないのです。
個人的には、変幻自在に転調する和声進行の中を自由自在に泳ぎ回るメロディー、そういう曲を書きたいと常々思っているのですが、これは打楽器奏者である自分にはやや荷が重い話でもあります。やはり日頃からハーモニーを取り扱っている鍵盤奏者やギター奏者等には、その面で一歩二歩どころか三歩も四歩も遅れを取っているので。本気でいい曲を作ろうと思ったら、今からキーボーディストに転向するくらいの心構えでいかなければと思っています。もっとも、聞いた話では人間には「可能性」という物が秘められているそうなので、その点では案外と安心してはいますが。
招き猫よ、音楽才能を招いてくれリズム・パートというのは音楽の中で非常に重要な役割を果たしていて、どんなに良い曲もリズムがグダグダでは全く成り立ちません。(例えば、良いバンドというのは常に優れたドラマーを擁しているものです。まあそもそも自分はドラマーじゃないし、他の楽器にしてもドラムにおんぶにだっこじゃダメな訳ですが。)そういう意味で、リズム楽器を担当する事になんら恥じるべき要素は見当たらないどころかむしろ誇りに思うべきですが、それだけではなくハーモニーもメロディーも自ら賄いたい、そう思ってしまうのは根が欲張りなんでしょうか。物質的欲望は本当に少ない人間なのに不思議です。今欲しいものと言えば、せいぜいDVDレコーダーと食器洗い機とiPodと薄型テレビと一眼レフのデジカメと新しい携帯電話、ほんのそれくらいなんですが。

昨秋にMUNDO NOVO(ムンドノーヴォ)名義で発表したアルバム"MUNDO NOVO"の一曲目、"Love Birds' Love Beads"は賑やかな鳥達の鳴き声で幕を開けます。ところで、先日N君としゃべっていたら「あの鳴き声って本物じゃないんですか?」という話の展開に。まずはこのトラック、以下リンクで無料ダウンロードできる(2007/1/19現在)ので、未聴の方はご面倒でも一度お聴き頂ければと思います。↓↓↓
ココをクリックするとダウンロード・ページに飛びます
さて曲冒頭に入っている鳥の声。これは何種類かの鳥笛、バードコール(アウトドア用の鳥呼び寄せグッズ)、クイーカ(サンバ楽器)、口笛、オモチャのキュッキュッキュ(幼児がサンダルで歩くとキュッキュと音が出るアレ)などを幾重にも多重録音したもので、つまり全くのニセモノです。情景描写に鳥の声や木々の葉擦れ音、草原のざわめきや風などを模写するのはパーカッショニストの常套手段ですが、大抵はさり気なくセンス良く使っている場合が多く、一方で私の曲ではこれでもか!というくらいに数を重ねて鳥の大群のさえずりを演出してみました。(だからと言って、私が先駆者的にエライという事ではなく、そんな品のない事は皆さま今更やらないというだけの話なのですが。)
Cさん撮影のオウム写真をお借りしました(もちろんこちらは本物のオウム)ところでアルバムのジャケット(下の画像参照)はフレンチ・ポリネシアのフアヒネ島の夜明けを撮影した物なのですが、実はこの写真を撮った時、周囲では物凄い勢いで鳥がさえずっていました。イントロに鳥の声が飛び交う"Love Birds' Love Beads"を一曲目に据えた、そんなアルバムのアートワークに鳥の声と共に撮ったこの写真が使われたというのは、元からそんな事を予定していなかっただけにつくづく面白い偶然でした。しかも実際に写真が使われたのは撮影から10年後。まったく人生何がどこで役に立つか分かりません。

2006年秋にリリースされた「メセニー・メルドー」に続き、2007年春頃リリース予定の「メセニー・メルドー」続編のジャケットが出来上がってきているようです。(情報元:
Have You Heard? (PATWEEK Blog) )今度のアルバム・タイトルは「メセニー・メルドー・カルテット」の模様。
Metheny Mehldau Quartetパット・メセニーとブラッド・メルドーのデュオという斬新な顔合わせで作られた一作目の「メセニー・メルドー」、巷の評判も上々の様ですね。ジャズ・アルバムですから二人の奏者の演奏の質やインター・プレイなどに目が向くのは当然ですが、端的に言うと私はまず「曲」が好きです。特にM1とかM2など、えも言われぬ叙情を感じます。
下のジャケ写を見ただけでは分かりにくいのですが、アルバムをお手持ちの方はご承知の通り、透明のプラスチック・カバーに白く印字されたタイトル文字とジャケット面の深い青色(無地)の重ね合わせで表現されたデザインもステキです。ゲフィン時代のメセニー関連ジャケットはコラージュ主体のカラフルな作風でとても美しかったけれども、ノンサッチ移籍後のシャープな感じもなかなか良いですね。
一作目にもデュオに交えて二曲カルテットでの演奏が収録されていますが、次は全編が四重奏の"Metheny Mehldau Quartet"が待ち遠しいところです。それにしても彼等のクリエイティビティ、少しでもあやかりたいもの。ツメのアカを煎じて飲む、、、という事は実現かなり困難と思われるので、せいぜいアルバムを聞き込んで肥やしにします。


日本が世界に誇る偉大なアーティストのやや微妙なアルバム・ジャケット。こう言ってはなんですが、どうやったらこうした発想になるのか、その点でも世界に誇れるかもしれません。このデザイン(?)が一体誰の発案なのか気になるところですが、ご本人ノリノリの様なので、そんな事はもはやどうでもいいのかも。(尚、彼女の音楽の唯一無二の世界観は本当に素晴らしいと思います、念の為。)
元ネタは
こちら大物に対してとんだ失礼な記事でスミマセン。あまりにもインパクトがあったので、いてもたってもいられなくなりました。どうかご本人にはナイショの方向でお願いします。

子供の頃に憧れていたモノのひとつに「食虫植物」があります。なんて薄気味の悪い!と思われるかもしれませんが、子供なんて大体そんなものです。今も昔もコドモは昆虫が大好き。なんとそのムシを食べてしまう植物があるらしい。そこに好奇心旺盛な少年少女が(少女はどうかわからぬが)興味を示さないはずがありません。テレビの自然科学番組などで昆虫を捕食する食虫植物の姿を見ては心ときめかせたものです。ウツボカズラとかハエトリソウとか。そしてある日ついにハエトリソウを入手しましたが(入手経路は失念)、生息地と気候が違うせいなのかアっというまに枯れてしまい、ついに虫を食べる光景は見られずじまいでした。
Wikipedia ハエトリグサ(ハエトリソウ)についてカーラ・ブレイのレパートリーにも"Fleur Carnivore"(直訳すると食肉花=食虫植物)という曲がありますが、このナンバーに異様に魅かれてしまうのはそのタイトルのせいではなく、純粋に曲の良さによるもの。ジャケットには艶やかなカーラの姿。巧みに男を誘い込んでは食べてしまう妖女の匂いがするようなしないような。

前エントリーの続きです。
マイケル・ブレッカーの生演奏は80年代に確か二回観た記憶があります。丁度マイケルがソロ活動を開始して初リーダー作が出た直後の事(1987年頃?)。一回目はケニー・カークランド(p)、マイク・スターン(g)、ジェフ・アンドリュース(b)、オマー・ハキム(ds)というサイドメンで六本木ピットインにて。二回目はたぶん厚生年金でジョーイ・カルデラッツォ(p)、ジェフ・アンドリュース(b)、アダム・ナスバウム(ds)という、これまたイカシた布陣。特に前者はスター・プレイヤーが一同に会した事もあって、ピットイン前に長蛇(本当に見たこともないような長蛇)の列が出来たものです。
ソロ名義としては初のアルバム"Michael Brecker"
収録曲では「ナッシング・パーソナル」が好きブレッカーのプレイ・スタイルが多くのエピゴーネンを生みだしたのは周知の事実、そしてそれだけの影響力を持つほどに強いインパクトがあったのは誰もが認めるところでしょう。そういう意味ではブレッカーはコルトレーンやロリンズに匹敵する偉業を成し遂げたジャズ・ジャイアンツでありテナー・タイタンであると言っても過言ではないと思います。(お堅い伝統的ジャズ雑誌が彼にどういう評価を与えているのかはよく知りませんが。)
加えて、そのヴァーサタイルな活動スタイルがフュージョン全盛時代に多くのリスナーやプレイヤー予備軍の憧れだったという点も見逃せません。(その節操のなさ(?)がトラディショナルなジャズ・ファンには受け入れられない由縁でしょうけれど。)ブレッカーに限った訳ではないけれども、70〜80年代に活躍した多くのスタジオ系プレイヤーを見て聴いて、ああいう風に演奏できるようになりたいなあと妄想しながら多感な時期を過ごした訳です、私などは。(まあ妄想だけなら誰でも出来ます。)そしてブレッカーはその有能セッション・プレイヤーの代表格であり、象徴的な存在でもありました。
マイケルの早すぎる死は本当に悼まれますし、残された家族や友人の事を考えるといい加減な事を言うのもはばかられますが、人間の死亡率は100%、誰でもいつかは死ぬものです。その点、俗人の何百倍も密度の濃い音楽人生を送りそれを全うした彼の生涯は間違いなく幸福なものであったでしょうし、(ややいかがわしい事を口走る様ですが)死は決して物事の終りではないという意味でも、また多くのレコーディングに残された彼のプレイが今なお生き生きと聴き手に語りかけてくるという意味でも、マイケル・ブレッカーの存在は今後もますます輝きを増すに相違ありません。

テナー・サックス奏者のマイケル・ブレッカーが白血病で亡くなりました。享年57。ここ1、2年は血液系の病気で闘病が続いていましたが、一頃は飛び入りでギグに参加するなど回復が伝えられていただけに残念です。ワン・アンド・オンリーのスタイルを確立して多くのテナー奏者に影響を与え、ジャズからポップスまで幅広いレコーディングにその偉業を刻みこんだ彼の事は、稀代のプレイヤーとして後世まで語り継がれる事でしょう。個人的に真っ先に思い浮かぶマイケルの仕事はブレッカー・ブラザーズの「ヘヴィメタル・ビバップ」でもなければジョニ・ミッチェルの「シャドウズ・アンド・ライト」でもなく、ポール・サイモンの「時の流れに」の短い間奏です。「スリーカルテッツ」を聴きながら合掌。
少し長いですが、2007年1月14日付のNEW YORK TIMESの記事を引用しておきます。既に最後のアルバムのレコーディングを終えていたとも記されています。
Michael Brecker Dies at 57; Prolific Jazz Saxophonist
By BEN RATLIFF
Published: January 14, 2007
Michael Brecker, a saxophonist who won 11 Grammy Awards and was among the most influential musicians in jazz since the 1960s, died yesterday at a hospital in New York City. He was 57 and lived in Hastings-on-Hudson, N.Y.
The cause of death was leukemia, said Darryl Pitt, his manager.
自分は今はパーカッショニストなのですが、これでも学生の頃はバンドのキーボードを担当していました。しかし、当時はコード・ヴォイシングの事など何ひとつ知らず、どうやって弾いたらいいのか全然分からないので、(ちょっと専門的な話になりますが)全てのコードを四度重ねで押えていました。これは簡単な上に結構ジャジィでカッコイイ響きがするので、周囲には上手いと思われていた私。さも上手そうな素振りで弾くのも得意でした。(手首の角度とか。)

実際、上手く見える様に装うテクニックというのは大切だと思います。楽器をプレイされる方は、練習のついでに(あくまでもついでに)その辺の研究をしてみても良いかもしれません。「上手なつもり」でやっていると本当に上手になったりするんですよね、これがまた。「その気になってやる」というのは楽器を演奏する上で(他のいかなる事柄でも同じかもしれないけれど)大変重要ではないでしょうか。メッキが剥げないように真っ当な練習もしておく必要もありますが、同じ技術を持つ人が二人いたら、後は見た目がうまそうかどうかが分かれ目(?なんの?)です。私の場合は50の技術を見た目で75位に水増ししています。どうやったら水増し量を75から上に伸ばせるかを鋭意研究中です。

二年前のベストセラーです。図書館に予約したきりすっかり忘れていましたが、今頃になってやっと順番が回ってきました。
ベストセラーになる様な本に対しては賛否両論が噴出するのが常。この本に関しては、真面目に会計の事を知りたい人や既に知識を持っている人には全く役立たない、という主旨の批判はあるようですけれども、会計に関してほぼシロウトの自分(本当は「全くのシロウト」ですが、一応は個人事業主なのでそうも言っていられない)にはなかなか面白かったです。どうみても客が来ている様には見えない住宅街の高級フレンチ・レストランがやっていけるのはなぜか、などとても興味深い。私もそうなのですけれども、会計につき物の「数字」が苦手という人は多いと思います。しかし「会計センス」というのがどういった類の物なのか、その片鱗を伺い知ることが出来る本書は、読み物としては読者の興味をそそるようにうまく書かれているのではないでしょうか。
会計の事など考えるヒマがあったら少しはマシな音楽を作りなさい、という考え方もあるかもしれませんが、この世に生きる限り誰もが会計的な事柄からは逃れられないのであって、そういう意味では少しでもそちらのセンスも磨いていきたいものだと今更ながら思いました。

フローラ・プリムが1974年にモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した時の実況録音盤(て言い方はちょっと古臭い)。ライブの臨場感に溢れるジャケットが良い感じです。
夫君アイアートがドラム&パーカッション、ミナスのロベルト・シルバが同じくドラム&パーカッション、ロン・カーターがベース。ギターは当時のアイアート&フローラとしばしば活動を共にしていたデイヴィッド・アマロ。この人のプレイ、語法はロックっぽいのになぜかジャズが感じられて(そう思うのは自分だけかもしれないけれど)すごく好きです。また、ミルトン・ナシメントの盟友として有名なヴァグネル・チゾが鍵盤で参加しているのもファンとして嬉しい。(ただし、もう一人キーボーディストがいるので、どっちがどっちかよく分からない…。)また、"Cravo e Canela"では作曲者のミルトン・ナシメントがゲスト出演し、主にミルトンがリード・ボーカルをとります。リターン・トゥ・フォーエバーのレパートリーとして有名なチック・コリア作曲のタイトル曲"500 Miles High"に加えてドリ・カイミやエルメート・パスコアルの曲なども取り上げていて、演奏面でも楽曲面でもブラジル・パワーを総動員、という感じです。
演奏はかなりジャズ色の濃い自由奔放なもので、フローラのボーカルもアイアートのパーカッションもライブならではのスケールの大きさを感じさせ、いかにも変幻自在です。彼等のスタジオ盤も濃ゆいものが多いですが、それとまた一味違った形でかなり濃厚なパフォーマンスを楽しめるライブ盤。
2007年2月にはフローラとアイアートが来日するそうです。


海外のCDショップからDMと言いますかグリーティング・メールと言いますか、そういう類の年賀メールが届きました。添付画像に数ケ国語で「新年おめでとう」と記してあるのですが、隅っこの日本語(ローマ字)だけちょっとヘン。どこでどう間違えたのやら…。

2007年は急がず焦らず参ります。自分の想いを的確に形にしていくことを念頭に置きつつ、おこがましいかもしれませんが、更に人様に喜んでもらえるような音楽を作っていけたらと思っています。時間的に考えて、おそらく今年度中に新作アルバムを発表することはないと思いますが、2008年(出来れば前半)のリリースを目指して準備していきたいです。とまあ年頭からいきなり来年の抱負を語っておりますが、どうぞ気長にご期待下さい!


Lampは染谷大陽(g)、永井祐介(vo/b)、榊原香保里(vo/flute/accordion)の三人組。ライブをやると熱列なファンが大勢集まり、彼等の繰り出すサウンドに寡黙ながらも熱心に耳を傾けていきます。既に三枚のリーダーアルバムをリリースしている彼等が2003年にリリースしたファースト・ミニアルバムが「そよ風アパートメント203」。アマゾンの購入リンクは以下。
とにかくこのLamp、様々な点で傑出していますが、一にも二にもまず曲が良い。MPBやボサノバ、70年代シティ・ポップスなどの影響を匂わせる洗練されたコード進行や一筋縄ではないメロディー作りには、この世代(リリース当時で20代前半)の作る音楽には希有と思われるセンスの良さを強く感じます。ポップで瑞々しいサウンドは耳当たりが良いながらも緻密に作り込まれていて非常に聞き応えがあり(ストリングスや凝ったコーラスワークなど)、更にそこにマッチした歌詞の世界がまた素晴らしい。具体的過ぎず、抽象的過ぎず、良いバランス感覚で美しい日本語を紡いでおり、青年特有の憧憬感や憂いを切実に感じさせます。
染谷大陽と永井祐介が中心になって曲作りを行い、永井祐介と榊原香保里が曲毎にリード・ボーカルをとり、時にツイン・ボーカルで唄い、二人の声のブレンドも抜群。そういった各自の役割分担の結果、多彩ながらも統一された世界感に満ちた楽曲がアルバム中にちりばめられています。尚、彼等には私のアルバム"MUNDO NOVO"でも唄ってもらっておりますが、別にそのお返しにLampを持ち上げている訳ではありません。クオリティの高い楽曲群やサウンドには純粋に感動させられており、私自身、作曲面でミナス音楽やMPBと並んでLampの影響を強く受けていると思います。それにしても、良い組み合わせのメンバーが揃って羨ましい限りです。
このブログを見に来られるようなアンテナの敏感な貴方(笑)には是非とも聴いて頂きたいLampですが、とりあえず以下リンクで一部楽曲の無料ダウンロードをやっているので大至急お試し下さい。下の方に曲名が書いてあるので、そのリンクを辿るとダウンロード・ページに飛びます。まずはこの「そよ風アパートメント203」の一曲目、「風の午後に」からどうぞ!気に入ったらゼヒゼヒ購入されたし。
http://www.mf247.jp/view/index.php?module=artist&refno=47325とにかく、音楽が好きで好きでたまらないそんな彼等の作る曲達は、音楽が好きで好きでたまらない人にとっては間違いなくグッと来る物だと思います。

あまりにも出来が良かったので二回目の鑑賞をしてきました。あやふやだった細部も確認できて、益々面白かったです。

「カジノ・ロワイヤル」、まず近年の007シリーズに飽きていた旧来のファンにお薦めしたいです。これまでの一連の作品にはなかったガチンコの肉弾アクションは見応え充分、決してあなたを退屈させないことをお約束します。元祖ボンド役としてのショーン・コネリーは別格であり、その後のボンド俳優と比較の対象にする事自体がそもそも間違っていますが、それでも敢えて言えば、主演のダニエル・クレイグはコネリーが作りだしたボンド像をよりリアルな形で描き出すことに成功していると私的には感じます。また、従来のシリーズのお約束(音楽、構成、タイトルバックその他)を知っていればいるほど、心地よくそれらを裏切ってくれる描写の心憎さにシビレると思います。
そして、007シリーズなんて見たこともないし興味もないという貴方にもお薦めしたいです。CGでなんでも出来てしまう時代に必死で体を張って作られたこの映画は、物凄い迫力と臨場感を醸し出しています。私はCG否定派では全くない(むしろCG大好き)のですが、それでも俳優の肉体性と大胆かつ繊細な演技力および脚本の面白さに支えられた本作で、改めて映画の醍醐味を実感しました。
丁度去年の今頃、ダニエル・クレイグが新ボンド役に決定したというニュースが流れた時は、どういう根拠か大ブーイングが巻き起っていましたが、フタを開けてみれば誰もが納得の大好演、大熱演。世間の評判もすこぶるよろしいようです。ハッキリ申し上げて、私はこうなることを予見しておりましたよフッフッフ。まあ根拠は何もなくて、ただクレイグのツラ構えを見て「なんとなくそう思った」だけなのですが、それが大正解だったと分かった今、やはり人間は直感を大事にすべきだなと改めて思いました。

オーストラリアの銀行バンク・オブ・クイーンズランドが、ネコにクレジットカードを発行していたことが明らかになった。同銀行のクレジットカードを保有するキャサリン・キャンベルさんが、銀行の身元確認システムの安全性を試そうと飼いネコ「メシア」の名前を使って2枚目のカードを申し込んだところ、難なく発行されたという。キャンベルさんは4日、地元メディアに対し「とにかく信じられなかった。世間は今回のようなことが起きるということを認識しておく必要があるし、銀行はセキュリティを強化すべきです」と語った。(中略)写真はシドニー・タロンガ動物園のネコ。(シドニー 2007年1月4日 ロイター)
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見出しを見たときは、猫が自分でクレジットカードの申込をしたという微笑ましい(?)エピソードなのかと思いましたがそんな事がある訳もなく、単に人間がネコ名義のカードを作って銀行のセキュリティを糾弾したという、あまりかわいくもない話でした。しかも写真のネコはこのストーリーとは全く無関係の別猫。でもカワイイのでとりあえず載せておきます。なんだか和猫とは微妙に顔立ちが違うような。

↓ついでに以前に紹介した写真も。K君撮影。


若い頃は、季節の行事とか古くからの慣習の実践などには全く興味がなかったのですが、最近は普通に「それらしく」行なっています。いつだったか、「自分が仏壇に手を合わせるようになるとは思わなかった」と井上陽水が言っていましたが、まさしくその心境。例えば食事前に手を合わせるのも、季節ごとの飾り付けをするのも、まずは形から入るのが大事であると共に、その精神や本質は自ずと後からついてくるのではないかと捉えるようになりました。考えてみれば音楽も同じ様なものです。コンガの演奏パターンを丸覚えしたり、ギターのコードの押え方を手のフォームで覚えたり。まずは基礎的な「形」から入ることで、音楽それ自体は後から勝手についてこようというもの。
形から入ると言う割には安物の鏡モチ
初期のパット・メセニー・グループ(PMG)作品を語る時、例えば「オフランプ」が最高とか「トラヴェルズ」が捨て難いとか、いやいややはりファーストの「想い出のサンロレンツォ」が一番だとか、そういう話はよく聞きます。しかし、PMG名義では二枚目となるこの「アメリカン・ガレージ」が好きで好きでたまらないという話はあまり聞かない様な気がします。
とりあえずジャケットは地味ですよねえ…。とは言っても、それと中味は関係ナシ。それに良い評判を聞かないからと言って、別にこのアルバムの完成度が取り立てて低いという訳でもない。やはり前述のアルバム群、つまりこの「アメリカン・ガレージ」の前後に発表された作品はあまりにも出来が良すぎる(狙った部分もそうでない部分も含めて)のではないでしょうか。よって、相対的に「アメリカン・ガレージ」が見劣りするかのような錯覚がおきますが、作品自体は実はとても良く出来たモノだと思います。
一作目に溢れていた透明感や瑞々しさも良い意味で踏襲されていますし、若さみなぎる曲調や演奏には、当時のメンバーならではの新鮮な感覚と今のメセニー・グループに相通じる緻密さとが同居しているように聞こえる。収録時間が35分程度と短くて、もっと聞きたいと欲求不満になる位です。最近頻繁に聴いていますが、PMGサウンドにはいつの時代にもそれぞれの良さがあり、聴く度に新たな発見と感動があります。

ジム・キャリーとケイト・ウィンスレットが主演のラブ・ストーリー。「恋愛映画」と簡単に言い切ってしまうのは必ずしも映画の本質を捉えていない気もしますが、その程度の予備知識で観た方が楽しめると思うので、とりあえずそう言っておきます。パット・メセニーが「アルバム"The Way Up"を作るに当たってこの映画に影響を受けた」という話をしていたので、興味津々で観てみました。
前述の様な単なる「ラブロマンス」といった表現は相応しくない、もっとシュールでシリアスな内容と、独特の描写方法が特異な作品。何を言ってもネタバレになってしまいそうなので説明が難しいですが、主にジム・キャリーが辿る「恋愛の記憶」を、映画表現としては時間軸を無視した形で描いています。(そしてその描写はストーリー上の必然でもあるのですが。)いわば「メメント」の様な時系列の順列を破壊した見せ方。また映像に関しては「マルホランド・ドライブ」を彷彿とさせるような、そういう美意識を感じさせる作品。恋愛模様を回顧しながら描くところや、新しかった男女関係がやがて古びれていく様は、ちょっと「アニーホール」を思い起こさせる部分もある。ボーっと観ているとワケが分からなくなるので、私は一回半観ました。(それでも疑問点は残っているので、誰かこれを見た人と話し合いをしたい!)
ここでパット・メセニーが受けた影響というのを考えてみましたが、表面的かつ単純な部分では、オープニングとエンディングが繋がった様なその「構造」に両者の共通点を見いだせますし、もう少し深読みをすれば、通奏低音の様に"The Way Up"の楽曲中に頻繁に登場する「ループ音」や「メロディー」が、映画の中に一貫して流れる主題の匂わせ方と似ているような…。また、映画と音楽はともに時間の流れに沿って楽しむ点が共通している一方で、映画の方のみが時間軸をバラバラにして描く事が可能な表現形態であり(例えば回想とか空想とかを挿入する事で)、そういう「時間を前後する表現」をメセニーとライル・メイズが音楽中で模索したのか、という様な印象もあります。(←自分でも何を言っているのかよく分かっていない。)
とにかくこの「エターナル・サンシャイン」、脚本(オスカーを獲得したそう)が抜群にスゴい。俳優陣も好演。ジム・キャリーは、「自分はジェームス・スチュアートになりたい」てなことをかつて語っていましたが、近年のいちコメディアンを超えた活躍振り(別にコメディアンの方が下等という意味ではないが)を見ていると、着実に演技派としてのキャリアを、スチュアートばりの米国の良心としての立ち位置を確立している印象です。エキセントリックな役柄のケイト・ウィンスレットも良かったし、私の好きなキルステン・ダンストも重要な役どころで強い存在感を示しています。良い映画でした。

2007年は「スパイダーマン3」の公開があるので楽しみです。この手のシリーズ物は毎回どうやって趣向を変えてくるかが見物ですが、今回は「黒い」スパイダーマンが登場するらしい。謎の液体生物に侵食される結果らしいですが、黒いコスチュームは主人公の苦悩や葛藤など、心の暗部の陰喩という事でしょうか?? ついでに言うと、ヒロインのキルステン・ダンストは日本ではあまり人気がないようですけれども私は結構好き。12年程前に公開されたロビン・ウィリアムス主演「ジュマンジ」の子役で見掛けたのが最初でした。

また、ウディ・アレンの"Scoop"(原題)も、恐らく今年度中に公開されると思われます。(前作の「マッチポイント」ほどの評判は聞こえてこないようではありますが。)今回も、前回に引き続きスカーレット・ヨハンソンが主演。アレン自身も出演しています。
2007年最初に観た映画(DVD)はジム・キャリーの「エターナル・サンシャイン」でしたが、これについてはまた後日。
