「うちの子が立って歩くようになりました」みたいな見出しですが、文字通り、家人がリズムキープをするようになりました。
二人以上で演奏される一般的なポピュラー音楽というのは、互いに一定のテンポをキープすることで演奏が破綻しないで流れていくという仕組みになっています。要するに、イチ、ニイ、サン、シイと四分音符を一定のタイミングで持続させながら音楽が成り立っている訳です。
なーんだそんなことか、と一見簡単に思ってしまうこのイチ、ニイ、サン、シイというのは意外に脆いもので、慣れていない人にはしっかりキープすることが難しい。例えば「手拍子」で均一のテンポを叩いている場合でも、相手につられていつの間にかズレていってしまったりする事がよくある。それくらいに、正確なリズムキープ(タイムキープ)は困難なもの。日頃から音楽に慣れ親しんでいる人にも思いのほか難しい事なのです。多くのベテラン・ミュージシャンが「四分音符のキープ」を楽器を演奏する上での最重要事項として真っ先に挙げているくらい、それ程に大事なことです。物凄く乱暴な言い方をすると、四分音符が正確にキープ出来ればプロになれます。(実際は、各自の担当楽器の演奏能力も問われるので、そんな簡単な話ではないですが。)

その難しいタイムキープを、音楽とは全く無縁の家人がいつの間にか体得していました(笑)。ボディー・パーカッションと言うと大袈裟ですが、手拍子やら体の一部を打ち鳴らしたりのリズム・アンサンブルを長年遊びでやっている内に、今では非常にグルービーなリズムをキープするようになったのです。私が複雑なリズムやソロを叩いてもそれに惑わされる事もなく、安定した四分音符の伴奏を繰り出してきます。
ジェフと付きあって英語を体得した聖子ちゃんではないですが、パーカッショニストと暮らしているうちにいつの間にかリズムの極意を感じ取った様子。タンタカタンタン、スッタンタンとエンディングのキメを叩くとちゃんと合わせてくるのがまた笑える。
普段はノホホンとしたドシロウトの家人が、シャープなリズムを手拍子でビシビシ刻む様を想像して下さい。(そのノホホンとした雰囲気を少しでも的確に伝えるために「
ヨメの日記」へリンクしておきます。)もう少ししっかり訓練して、誰かの結婚式の時の余興にでも披露しようかと企んでいます。ちょっとこれだけでは出し物として弱いので、水無しシンクロナイズド・スイミング(デュエット)と組みあわせようかな、と。

私がジョイスと初めて出会ったのはこの作品でした。1990年頃、CD店でかかっていたのを聴いて「これは!」と思い店員さんに尋ねたところ、ジョイスというアーティストの新作「ミュージック・インサイド」というアルバムだとの事。多分、日本では今ほど彼女の事が知られていなかった時代だったのではないかと思います。以来、随分繰り返し聴きました。
Joyce "Music Inside"ブラジルではなく北米で制作されたこのアルバムは、アメリカのジャズ・ミュージシャンが中心になってバックを務めています。歌詞も全てポルトガル語ではなく、米国市場を意識した英語詞も交えられている。そういう意味では、このアルバムは普段着のジョイスの音楽とはまた違ったサウンドなのかもしれないけれども、そんな事はモノともしないジョイス節が根底に脈々と流れています。それにまあ、元々ジャズ〜フュージョンが好きな私ですから、北米的なサウンドには何の違和感も感じないどころか、むしろ親しみを覚えた位ですし、そういった要素が良い意味で洗練されたサウンドに繋がっているようにも感じます。
ジョイスはミナス系のミュージシャンの一人であるネルソン・アンジェロと結婚していた時期もありますし、トニーニョ・オルタをはじめとするミナスのアーティストとの共演も度々行なうなど、何かとミナスと縁の深いミュージシャン。では彼女自身の音楽がミナス的なのかと言ったら全然違うのでしょうが、そんなこんなで、私の中では彼女はミナスのアーティストの一人、という完全に間違った認識になっております。まあ細かい事はいいではないですか、ジョイスの音楽の魅力に変わりはないのですから。
ジョイスには「フェミニーナ」とか「水と光」などの名盤があり、それと比較するとやや異色な存在の「ミュージック・インサイド」かもしれませんが、彼女の音楽との出会いも含めて忘れられない一枚です。

田口壮選手の所属するセントルイス・カージナルスがワールドシリーズを制覇したそうです。日本の才能がアメリカに流出してしまうという、日本プロ野球が抱える問題も背後には見え隠れしているとは思いますし、そういう状況で張本が簡単に「天晴れ!」と言うかどうかは分かりませんが、とりあえずややこしい話は脇において、大変お目出度い事だと思います。
マツイやイチローはそれ以前から大活躍していますが、彼等はある意味選ばれた人間であり(もちろん人並外れた努力はしたであろうけれども)、憧れの対象や日本人の誇りとはなり得ても、必ずしも自分たちの直接の手本になる訳ではありません。彼等はあまりに「特別」過ぎます。その点、マイナー暮らし、守備要員、代打要員と言った、決して恵まれているとはいえない扱われ方の中でキッチリ仕事をして大きな結果に繋げていった田口選手の姿には、今を生きる自分を確かに勇気づけてくれる何かがあるように感じました。
もちろん、メジャーの舞台に立っている時点で田口選手も「選ばれた人間」である事にはかわりないのですが、程度の差こそあれ、人それぞれが巡り合わせた境遇の中で、腐らずに与えられた仕事をこなしていくという事がいかに大切かを思い知った様な気がします。単純に言えば、地味なコピーとりもムゲに扱われるだけの営業も、面倒な食器洗いも風呂掃除も、明日の自分に繋がる大切な仕事であろうという事です。少なくとも、そう言う捉え方で生きていきたいと思ったのです。


ジャコと言えば真っ先にウェザー・リポート(WR)を想起される方も多いと思うのですが、ことWRに関してはジャコのいた時代ばかりが突出して取り上げられ、他のベーシストが素晴らしい音楽をやっていた時期が過小評価されているのが勿体ないなあと、私は常々思っているのです。ミロスラフ・ビトウスのいた初期、アルフォンソ・ジョンソンのいた中期、ビクター・ベイリーのいた後期、いずれもジャコ時代に劣るどころか、見方によってははるかに凄い音楽をやっていたりもしている訳で、是非ともそれが見過ごされない様に、と地味な普及活動を行なっているのです。(ザビヌル自身は「ジャコがいた頃が最高のバンドだった」と言っているのに、まったく大きなお世話です。でも奏者自身の実感と、その結果生まれたサウンドに対するリスナーの評価というのは違っていて然るべきだと思うのですよね、あえて言えば。)
とは言いましても、ジャコのいた時代のWRも当然悪いはずがないですし(ベタかもしれませんが、とりわけ"Heavy Weather"が好きです)、もっと好きなのはジャコ・パストリアスのソロ・プロジェクトです。ジャコ・パストリアス・ビッグバンドも最高、そして何よりもまず1stアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」を初めて聴いた時は衝撃を受けました。まず月並みですが、一曲目の「ドナ・リー」。まあ学生当時はドナ・リーが何なのかも良く知らなかった訳ですが、とにかくべースとコンガだけで演奏されたこの曲がアルバムのトップに入っているというのにまず驚き、そのカッコ良さにまた驚き、そして間髪入れずに続く二曲目"Come on, Come over"のイントロでドギモを抜かれる。(ちなみに、ここでコンガを叩いている故ドン・アライアスのプレイに魅かれて私はコンガを始めました。)
Jaco Pastorius "Jaco Pastorius"このアルバムがジャコの凄さをあますところなく伝える名盤だというのは周知も周知、例え太陽が西から昇ったとしてもこれだけは揺らぐことがないであろうくらいに明白ですが、その完成度の高さは、ジャコ自身の卓越したプレイはもちろんの事、的確なプロデュースによるところも大きいのではないかと思われます。参加ミュージシャンの大物ぶりとか、何よりもジャコの派手なテクニックとかに隠れてしまいがちですけれども、ジャコの持つ音楽性の多様な側面を極めて巧みに抽出してバランス良く配置、記録しているこのアルバムは、うまく「コントロールされた作品」という意味でも、非常に良く出来ているのではないでしょうか。
この「ジャコ・パストリアスの肖像」、最近は未発表テイクを収めたバージョンが発売されていますが、ここで注目したいのはアルバムの白眉である"(Used to be a) Cha Cha"の別テイク。貴重な記録ではある反面、演奏としてはあまりスリリングではないんですよね。あれだけのメンバーを集めれば鼻歌交じりで軽ーく名演が生まれて当然、と思いがちですが彼等も人の子、なにがしかの試行錯誤をした上で最善を尽くし、そして生まれた化学反応があの奇跡のテイクとなっているのでしょうか。
あまりに繊細だった故か、晩年の彼は心の病に呵まれ、最後は不幸な事故で夭逝してしまいます。天才というのは、それと引き換えに何かの時限爆弾を抱えなければならないのか。非常に気の毒です。死んで花実が咲くものか、是非生きて長く活動を続けて欲しかったと思います。自分はあそこがイテエのここがしんどいだのと年がら年中騒いではいますが、一方で、彼のように音楽やらなんやらの事で心底悩み苦しむような境遇とは無縁の無神経人間に生まれたのは、ある意味幸いなことです。お陰で超平凡ミュージシャン街道を爆進中ですが、やはりまずは命あっての事ですからねぇ…。せめて長生きしたいものだと思います。

先日紹介したシンガー・ソングライター、
スコット・ジャレットのデビュー・アルバム(GRP)は1980年のリリースでしたが、2005年になってなんと25年振りの新作がリリースされ、詳細がスコットの公式サイトに記されています。
公式サイト
http://www.scottjarrett.net/
Scott Jarrett "The Gift of Thirst"まず新作"The Gift of Thirst"の試聴がタップリできるのが嬉しい。(アルバム・タイトルから想像するに、よほどの表現衝動が蓄積されていたのでしょうか。)とにかく上質のポップスとしてのそのサウンドは完成度高し。昔の良さを失わずにまたまた新鮮な音楽を創ってくれたという印象。(ストリングスが良い!)更に、サイトに掲載されているインタビューでは新作の事、デビュー作の事などが色々記されていて非常に興味深いものがあります。思いっきり意訳しつつ個人的に気になった点をかいつまむと、
●リリースのなかった時期は音楽を教えたりプロデューサー、エンジニアなどの仕事をやっていた。
●GRPからリリースされたデビュー・アルバムは、名レーベル、名プロデューサー、名ミュージシャンの元で作られたものの、GRPがジャズ・レーベルであり、自分がキース・ジャレットの弟であるという事でジャズ局でのオンエアしか得られなかった。しかもサウンドが十分にジャジィでない(ポップスだから当然なのですが)ということで、継続的なオンエアはしてもらえなかった。(結局あまり売れなかった。)
●デビュー作はデイブ・グルーシン&ラリー・ローゼンのプロデュースの色が強くて、何曲かはデモの方ができが良いという物もあった。
今回の新作はセルフ・プロデュースということで、本人も納得行く出来映えの様です。私はグルーシンのファンなので、デビュー盤のサウンドはサウンドで良い感じだなあと思ってはいるのですが、やはり本人にとっては色々と不満な部分もあったのかもしれません。とにかく、そういう最高のシチュエーションで順風満帆の船出をしたにも関わらず、二作目を作る機会がないまま25年が経った。人の運命とは数奇な物です。もちろん彼にも自分の人生があり、そのことばかりにかまけていられない状況もあったのでしょう。しかし根強いファンや仲間の後押し、応援もあったようですし、25年経ったとは言え、素晴らしいアルバムをこうして再び放つことが出来る彼はやっぱり幸せなミュージシャンではないでしょうか。(それに、25年25年と一人で大騒ぎしてますが、実際25年なんてアっという間ですし…。)
結果的にビッグ・セールスに結び付かなかったアーティスト(などというとスコットにすごく失礼かもしれないけれど、セールスの事などで彼の音楽の価値は揺るがないと思うので)でも、優れた音楽性さえ備わっていれば自分で良い作品を創ることが出来るようになった。そういう現代の音楽事情、なんやかんや言っても悪くないなとも感じました。
公式サイトでアルバムを購入できるので、近い内に必ず入手したいと思っています。(今月は既に体脂肪計を買ってしまったので、スコットさんすみません。)

お陰様で新しいアルバムMUNDO NOVOが無事発売になりました。以下のリンクで一曲丸々試聴できますので、まずは聴いてみて下さい。クリックするとプレイヤーが起ち上がります。
ココです曲:Love Birds' Love Beads (Music by Takero Ogata)
演奏:榊原香保里、永井祐介(voice)、森孝人(g)、椎名達人(elb)、星山哲也(ds)、おがたたけろう(perc, key)気に入ったら是非ともご購入を!ジャケ写をクリックすると詳細ページに飛びます。
Mundo Novo / Mundo Novo発売当日は都内CD店の視察に行ってきましたが、いざショップに足を運ぶと、欲しい物が沢山ならんでいて本当に目移りしますねえ…。いくらでも買いたいものが置いてあります。そうやって凄いCDがゴロゴロ売られている中で、わざわざMUNDO NOVOをお買い求め下さる方々、本当にありがとうございます! お知らせ下されば「この方のご恩は一生忘れてはならないリスト」に加えさせて頂きます。

一定年齢以上の方には覚えがあると思うのですが、その昔、永谷園のお茶漬けを買うと「東海道五十三次」カードがオマケで入っていたものです。55枚全部を集めるのはさすがに至難の技ですが、10枚だか15枚だかを集めて応募すると、もれなくフルセットのカードがもらえました。その浮世絵を眺めて悦に入っていた小学生の頃の私。今オシャレなジャズ・ボッサなんぞを作っている人間と同一人物とはとても思えませんね。
と言う訳で、千葉で歌川広重展があるらしいと聞きつけた私は、一も二もなく駆け付けたのです(展示は既に終了しています。)。特に有名な一枚で国際文通週間の切手にもなっている、私も大好きな「蒲原」にはちょっと感動いたしました。(ところで昔は安藤広重という呼び方が一般的だったと思うのですが、いつから歌川広重と呼ぶようになったのでしょう?)
東海道五十三次「蒲原」それにしても印象的だったのは、描かれた人物の楽しそうな表情。当時の浮世絵は戯画、今で言うところの漫画の役割も果たしていたので、かなりデフォルメされて描かれている部分もあるのでしょうが、それにしても農夫も人足も駕籠舁き(かごかき)も、宿屋の客引きのオバハンも茶店で一服する旅人も、皆イイ顔してるんですよ。誰も彼も、一様に幸せそうな笑顔を浮かべています。戦乱のない平和な時代が三百年続いたという江戸時代。もちろん昔の事ですから疫病や飢饉もあったでしょうし、生活も決して楽ではなかったでしょうけれど、だからこそ純粋な信仰心を持って自然と共に生きることの出来た、安息に包まれた時代だったのかもしれん、と思ったのでした。タイムマシンで当時の人間をせわしない現代に連れてきても、多分元に戻してくれと懇願するに違いありません。
そんな浮世絵をズラリ網羅して優雅に楽しめる現代もなかなか平和だとは思いますが、美術館まで往復で五時間かかったのにはさすがに往生しました。まあ、江戸から京へ徒歩で移動した昔の旅人の事を思えばね…。

資生堂のコマーシャル、「新しい私になって」。失恋で心に痛手を負った女性が、スキン・ケアで本来の自分を取り戻していくというストーリー。音楽も良し、モデルさんの芝居も良し、映像も良しで、非常にいいコマーシャルだと思います。2006年10月現在、資生堂の公式サイトでCM映像を見ることができます。
http://www.shiseido.co.jp/corporate-ad/060828ad.htm
丁度テレビでやっていた制作現場のドキュメントを見たのですが、失恋した女性が顔を洗うシーンではカメラの前で本物の涙を流すことが求められたそうで、演技経験のないモデルさんには大変な作業だったとのこと。長い時間をかけ、ついに一筋の涙が流れ落ちた時は感動すら覚えましたが、結局この涙は完成映像には使われていないのです。でも、この「涙を流す前後の表情」がとても良いんですね。いい選択だと思います。
これはスキンケアのCMですけれども、「化粧」という武器(?)を持つ女性を羨ましく思うこともあります。オンナばっかり化粧させられて面倒くせえんだよ、という意見もあるかもしれませんが、化粧をしていざ外出するって「さあ行くぞ!」という気分がみなぎると思うんですよね。バブルの頃には化粧品会社が「男の化粧」を提唱したりもしましたが、結局定着しませんでした。
誤解のないように付け加えると、私に化粧願望があるという訳ではなく、「戦闘モードに入る」為の有効な「スイッチ」になりうる化粧に興味があるということですので念の為。まあ女性の方にとっては毎日のことで今更そんな事を意識もしていないだろうし、単なる男の幻想かもしれませんけれど。それにしても、仕事着も部屋着も大して変わらない様な生活をしていると、公私のメリハリがつかない事この上ないです。

(2006年10月末リリースの新作の制作過程についての文章です。)
とあるベテラン・ミュージシャンが「自分の音楽を人が気に入ってくれるのは嬉しいけれど、自分にとって音楽とは非常に個人的な物であって、人の評価はあまり関係のない事だ」という主旨の話をしているのを聞いた事があります。これは、彼自身が(と言っても誰のことやら分からないでしょうけれど、某世界的ギタリストです)類稀なる才能とたゆまない努力で築き上げた実績と、それに伴う高い音楽性を確立しているからこそ吐ける言葉であり、凡才をカバーする為に粘りとド根性と出たトコ勝負でエイヤッと音楽をやっている私には、そこまでキッパリと言い切る事は正直できません。やはり聴き手の反応があれば嬉しいし、受入れられなければガッカリしてしまいます。(普通の人間の当たり前の反応だと思いますが。)
そんな自分ではありますが、それでも前述の「音楽は個人的なもの」という言葉は、なんとなく分からないでもないのです。どのアルバムを作った時でも、わざわざお金を払って聞いて頂く方々に喜んでもらいたい一心でそれなりに考えを巡らせて作ってはいますが、それより何よりまずは自分自身が第一番目のリスナーであり、その自分が楽しめる様な音作りを、今回は今まで以上に心掛けました。人が聞いてどう感じるかと言う事以上に、自分が納得いく物、聴いて嬉しくなる物を追及したつもりです。そうやって「個人的に」突き詰める事が出来た時点で、今回は既に成功したと思っています。また、人が無意識の部分で繋がっているのだとすれば、そうして自分自身が感情移入の出来る今作には、あるいは結果的に一層の共感もしてもらえるかもしれないとも思ったりするのです。(←これは単なる希望的観測ですが。)
もちろん、そうやって自分が納得する事と、聴き手が実際に音を耳にして何を思うかという事は全く別の問題ですし、ましてやCDが売れるかどうかという事などとは一切合切関係ありません。しかし、ここは前述の引用に立ち返り、極めて「個人的な部分で」アルバム完成の祝杯をあげたい気分ではあります。(ただしアルコールは嗜まないので、アセロラ・ドリンクかソバ茶で。)

是非アルバム"MUNDO NOVO"をお聴き頂ければ、そして何かを感じて頂ければ幸いです。
追伸
アルバム"MUNDO NOVO"のどんな些細な一側面にでも、今回関わっていただいた方々、お世話になった皆様に深く感謝します。そして今までの音楽を聴いて下さった皆さんにも。
(制作日誌おわり)
おまけの余談に続く
1978年のウェザー・リポートのライブ映像。強力です。往々にしてジャ○・パス○リアスの姿ばかりに目が行ってしまいがちなこの時期のウェザー・リポートですが、やはり親分ジョー・ザビヌル(key)の凄さが際立っています。彼が周囲をズラリとキーボード群に取り囲まれ、左右の手を駆使して縦横無尽の超絶プレイを繰り広げる様はまさに圧巻。さすがザビヌル、ボクシングのレフェリーだかセコンドだかの資格を持つだけの事はある。現代では鍵盤楽器もPC化してコンパクトになったので、キーボーディストがこんなに沢山のシンセ群に囲まれている姿を見られるのはこの時期だけでしょう。そういう意味では良い(?)時代でした。運ぶ方は大変だろうけれど、見る分には相当面白い!
HMV --- Weather Report "Young and Fine LIVE"このDVDの他の見所としては、(1)ピーター・アースキン(ds)の体毛(2)異様にテンションの高いウェイン・ショーター(sax)のMC、などがあります。ピーターは暑くなったのか途中から上半身裸で叩いているのですが、あまりに胸毛が濃い故に茶色いセーターを着ている様に見えます(驚)。まったく男らしくて憧れます(マジで)。また、ショーターはもっと淡々としたキャラを想像していたのですが、実は元々テンションの高い男なのか、それともこの時はたまたま高揚していたのか、妙に昂ぶったメンバー紹介が実に印象的でした。
全然真面目に紹介していないですが、とにかく内容素晴らしいです。従って、あくまで「強いて言えば」の話ですが、どうせジャコ在籍時ならボビー・トーマス(perc)も加わっている頃の映像を見たかったなあ、というのがまず一つ目の感想。あと、根強いジャコ人気のせいでこの時代の音源や映像が発掘されることが多くなってしまうのは仕方ないとは思うのですが、ミロスラフ・ビトウス(b)&アルフォンソ・ムゾーン(ds)在籍時、もしくはアルフォンソ・ジョンソン(b)&チェスター・トンプソン(ds)在籍時(そしてパーカッションはアレックス・アクーニャ!)、この頃の映像を是非見てみたいなあと思いました。きっとどこかに存在しているのだろうけれど、ジャコがいないと公式リリースしても商売にならないんだろうなあ。(遠い目)

2006年秋に都内で公開されていた「
マッチポイント」があまりにも面白かったので、とにかく次作が待ち遠しいです、ウディ・アレン。
(「マッチポイント」は恵比寿ガーデンシネマでは2006/11/17(金)まで上映するとのこと。ただしレイトショーが中心なので、上映時間には十分ご注意下さい。)
"Scoop" フランス版ポスター今のところ日本公開を控えているアレン作品は、既に全米公開済みの"Scoop"。「マッチポイント」に続いて再びスカーレット・ヨハンソンが出演し、ヒュー・ジャックマンが共演。今回はアレン自身も出ているそうです。(それにしても、"X-MEN"に出演した俳優は、ジャックマンといいハル・ベリーといい、皆が出世しましたねえ。)「マッチポイント」では妖艶で官能的な女を演じていたヨハンソンは、今回は一転してジャーナリスト志望の学生役の模様。
"Scoop"更に2006夏には、2007年全米公開予定の無題プロジェクトの撮影が行われたとのこと。この無題プロジェクトにはユアン・マクレガーが出演しているそうです。スター・ウォーズからアレン作品まで網羅する彼のキャリアは大変な事になっております。音楽界に置き換えると、ストーンズからマイルス・バンドまでカバーするダリル・ジョーンズのようなものか。それともマドンナからウェザー・リポートまでを支えたオマー・ハキムか。
真っ先に「キース・ジャレットの弟」などという枕詞をつけて語るのは失礼極まりないとは思いますが、キースの弟のシンガー・ソングライター(!)のスコット・ジャレットが、デイブ・グルーシン(!)のプロデュースの元、GRP(!)からリリースしているという、いきおいビックリマークも多くなってしまうアルバムが、"Without Rhyme or Reason"です(1980年作)。80年代に入ってからAOR路線も手掛けるになったGRPですが、その流れの中では比較的初期の作品にあたる物だったと思います。
鍵盤とストリングス・アレンジのグルーシンを筆頭に、この時代のGRP作品ではお馴染みのミュージシャン、マーカス・ミラー(elb)、バディ・ウィリアムス(ds)、ラルフ・マクドナルド(perc)等がバックを務めています。更にスタッフのクリス・パーカー(ds)やハーモニカのトゥーツ・シールマンス、ベースのエディ・ゴメスの顔も見えます。フォーキーでAOR的な歌物音楽なので、いわゆるフュージョンに付き物のテクニカルなプレイや派手なソロなどは一部を除いてほとんど出て来ませんが、相変わらず手堅いですミュージシャンの皆さん。本当にウマいプレイヤーというのは、こういうところで本領発揮しますね。特にグルーシンのアレンジは流石という感じ。
Scott Jarrett "Without Rhyme or Reason"また、弟のアルバムに花を添える形でなんとキース・ジャレットがゲスト参加(笑)。別に笑うことはないか。ただ、他人ではキースにポップスのスタジオ仕事などどう考えても依頼しづらい様な気がしたので。そこは血を分けた弟の頼みという事で快諾したのでしょう。キースの演奏は歌物の伴奏という雰囲気にはほど遠く、普段ソロ・ピアノでやっていることをちょっと薄めたような内容、逆に言うと歌物にしてはやたらと濃い内容になっています。だいたいキース自身の音楽にもフォーキーな要素というのは顕著な訳で、案外キースもスコットも兄弟として同じ様なバック・グラウンドを持っており、たまたま表現の方法が違う方向に向かっただけなのかな、とも感じます。ちなみにジャケ写のスコットは、兄弟だけあって若い時のキースにソックリです。
肝心のスコット・ジャレットですが、全曲の作詞作曲を手掛け、ギター(一曲でエレピも)を弾いて歌ってコーラスをして、自身の瑞々しい音楽観をあらわにしています。曲作りも巧みだし、歌やコーラス・ワークもすごく好きです。爽やかでとても良いデビュー・アルバムだと思うのですが、なぜか彼のリリースはこれっきりで途絶えてしまうのです…………。(しかもこのCDも長らく廃盤状態。)
と思っていたら、2005年になんと25年振りの新作が出ているとの事。一体いままで、どこでどうしていたのでしょうか。そして、なんでまた急に今になってやる気になったのでしょうか。とにかく、そう言った背景も含めてこの新作も非常に、非常に気になるところです。誰か聴いた人がいたら是非感想を教えて下さい。
とここまで書いたところで更に、公式サイトを発見!新作情報が載っている様なのでリンク張っておきますが、やはり25年間のブランクを経ての久々のリリースのようです。こちらの内容に関してはまた後日にでも詳しく…。新作の試聴が出来るのですが、凄くイイ感じです。なんだか嬉しくなってきました。
http://www.scottjarrett.net/
(2006年10月末リリースの新作の制作過程についての文章です。)
前回に記した様なラテン系楽曲の他、本作ではブラジリアン・クロスオーバーとでも言ったら良いようなタイプの曲が特に多いと思われます。これら楽曲でも、またそれ以外の楽曲でも、自分なりの正攻法をもって微に入り細に入り種々の打楽器を仕込んであります。地味で目立たない部分もあるかもしれませんけれど、様々な楽器を多用しておりますので、パーカッションに興味のある方はその辺にもじっくり耳を傾けていただけたらと思います。

さて、私が特定の地域の音楽文化に極度に傾倒してる訳ではなく、あくまで「クロスオーバー指向」だという事は既にお話しました。ある意味その言葉通りと申しますか、あるいは打楽器使用における異文化交流と申しますか、本来ここでこの楽器は使わんだろ、というようなパーカッションのチョイスをしている点に着目して聴いて頂くのも、また地味な楽しみ方の一つかと思います。例えばブラジル音楽を基盤にしたジャズ・ボッサ系音楽(一曲目のLove Bird's Love Beads)のイントロでアフリカ楽器のジャンベを用いたり、ラテン・ミュージックとしては普通マラカスを用いるべき場面でブラジル楽器のカシシを用いたり(七曲目のPerspective Perceptive)と、それは時に意図的(前者)だったり偶発的(後者=手許にマラカスがなかったので)だったりしますが、結果的にクロス・カルチュラルなサウンドを現出することができました(笑)。
参考まで、全楽曲での使用パーカッションを順不同に列挙しておきます。(厳密にはパーカッションと言えないものも幾つか含まれています。)特に最後の「タワレコの袋」、どこで使っているか是非探してみて下さい。あの袋を使って出せる音とそれを使えそうな状況を考えると、案外簡単に見つかると思うのですが…。(ただし2〜3秒ほどしか出て来ませんし、シンバルの音もかぶっていますから、ちょっと分かりにくいかも。ヒントを言うと、前半6曲のうちのどれかのイントロです。)
コンガ、カシシ、ライドシンバル、ビブラホン、カリンバ、トライアングル、タンバリン、クラベス、パンデイロ、ティンバレス、カウベル、フロアタム、シェケレ、スレイベル、風鈴、フレクサトーン、五連ウッドブロック、シェイカー、ウィンドチャイム、ジャンベ、レインスティック、ドラムセット、カバサ、ボンゴ、鳥笛、バードコール、クイーカ、オモチャのカタカタ(土産物)、鈴の束、木の実の束、自宅の鍵の束、風呂場の水滴音、タワーレコードの黄色い袋
(制作日誌の最終回へ)
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ハイ皆さん、また、お会いしましたねぇ。
日曜洋画劇場、今年でついに、40周年を迎えます。
40年、40年です。まぁ、長い、長いですねぇ。

1966年、日本にビートルズがやって来たこの年、記念すべき第一回目の放送作品は
エヴァ・ガードナーと、ハンフリー・ボガートの、「裸足の伯爵夫人」。
ボギー、男の中の男です。そしてエヴァ・ガードナー。まあ、美しいですねぇ。
おがたたけろうのレコードに入っている、エヴァズ・ガーディナーという曲。
ガーディナーって何ですか。庭師? そう庭師。アナタよく知ってるねえ。
それじゃあ、「エヴァの庭師」ってなんやろ、なんのことやろ。
このタイトルも、彼女の名前を、もじってるんですねえ。まあその粋な事。
この、一回目の放送から、40年、40年です。世の中すっかり、変わりました。
ゲーム、携帯電話、そしてインターネット。アナタ、インタ−ネットやってますか。
やってる。スゴイねぇ。私はやったこと、ないですねぇ。
そうやって、映画以外に楽しい事が今は、いっぱいあります。
でも、今も昔も映画は、人生の教室。学ぶべきことが、
たくさんたくさん、たくさん詰まってます。
そんな映画を、見る事ができるのは、本当に本当に、嬉しいことです。
映画は娯楽芸術。男達の生き様に、ハラハラドキドキして、
銀幕のヒロインに、胸ときめかせて、ついでに人生勉強まで、出来るんです。
何という贅沢!
皆さんも、もっともっと、もっと映画をご覧になって、
そしてますます、人生をお楽しみになってください。
それでは、また次回、サヨナラ、サヨナラ、、サヨナラ…
イウォーク族。「ジェダイの復讐」(筆者註・スター・ウォーズ/エピソード6「ジェダイの帰還」の日本初公開時のタイトル)で登場し、賛美両論を呼んだキャラクターである。「スター・ウォーズ」に登場したキャラクターの中でもここまで評価の分かれるものは珍しい。相対的に言って女性と子供は好きで、男性は嫌いだと言える。前者の理由は「可愛い」であり、後者の理由も「可愛い」である。(「スターウォーズ解体新書/扶桑社刊」より)
まずはイウォークの写真をご覧下さい。

まあ可愛い。愛くるしいですね。ほとんどクマの縫いぐるみです。私自身はスター・ウォーズ「ジェダイの復讐」が公開されたときは高校生で、別にカワイイものに対して憧れもなければ敵意もなく、幸運な事にさほどの違和感も覚えずに映画に没頭することができました。このイウォークが映画終盤では帝国兵を相手に大活躍します。しかし、後年に公開される事になるエピソード2やエピソード3であれほど強くて頼もしかったクローン兵が、このエピソード6ではどうひいき目に見ても弱そうなイウォークの投石や弓矢などの原始的武器でバッタバッタと倒されてしまい、そのあまりの呆気なさにはちょっと拍子抜けでしたけれども。
この映画の見せ場は砂漠の浮遊船上での活劇やクライマックスの大宇宙戦など色々ありますが、白眉は何と言っても森の中を疾走する空中バイクのチェイス・シーンではないでしょうか。実写の森林を背景にしてブルーバックのスクリーン前で撮影された俳優の演技を合成したこの場面は、一作目(エピソード4)の宇宙戦、二作目(エピソード5)の雪原での戦いに続く新機軸として、当時大きな喝采を浴びたものでした。

前述した通り、日本公開時に「ジェダイの復讐」だった本作は、DVD化される際に無事本来のタイトルである「ジェダイの帰還」に戻されました。公開直前に原題が"Revenge of the Jedi"から"Return of the Jedi"に変更された際、既に宣伝資料を作ってしまっていた日本の配給会社が邦題の変更をせずに「ジェダイの復讐」のままで公開してしまったようですが、正義の味方であるところのジェダイが「復讐」っておかしいだろとずっと思っていたので、DVDでの邦題変更はナットク、むしろ遅すぎる位です。公開から既に20年以上が経ち、当時の赤子もとっくに成人して巷を跋扈している、それくらいに20年とは長い時間なのです。
既にエピソード1〜3の公開が終了した今、このエピソード6がスターウォーズ全ての物語の完結編になっています。しかも今回(2006年秋)ついにDVD化された「オリジナル劇場公開版」のラストシーンは、従来DVD化されていた「特別篇」のラストシーンを映像面、音楽面ともに凌駕しております。(特別篇でなされた改変があまり良い方向に行っていなかった、という事。)ファンでなくとも見逃せない一品です。
(2006年10月末リリースの新作の制作過程についての文章です。)
これまで何枚かのアルバムを発表してきましたが、自分は元来パーカッショニストであるにも関わらず、それら作品の中ではあまり目立つ形でパーカッションを使用してきませんでした。別にその結果として苦情が来た訳でもなんでもないのですけれど、自分としては「看板に偽りアリ」的な後ろめたさを少し感じていたりもしたものです。パーカッションを叩かないパーカッショニストなんて、魚を置いていない魚屋、火を消さない消防士、社員に給料を払わない社長となんら変わらないではありませんか。やはりパーカッショニストのアルバムには、パーカッショニストとして期待されているモノがあるのではないか。今回のアルバムでは「これまで以上に作編曲に力を入れてみよう」という気持ちがまず強かったのは既に記した通りですが、一方で「今まで以上にパーカッションが活躍するような作品にしよう」という思いを秘かに、秘かにですが心の中で温めていたのです。

で、結論から先に申します。周囲の関係者に尋ねる、「今回はパーカッション増やしてみたけど、そんな感じに聞こえる?」。答える「いや別に」(アッサリ)。と言う事で、どうも自分が思ったほどには打楽器打楽器したアルバムにはならなかったようで。私の生来のバランス感覚(笑)が、パーカッションのみ突出した音楽を作る事を潔しとしなかった模様です。これは、良い意味でパーカッションが自己主張し過ぎず、楽曲全体の中で頃合い良くサウンドしているという事なのだなと、やや我田引水気味ですがそう理解しております。
そんな状況ではありますが、とりあえず「打楽器の多用」というテーマに関して個人的にどのような取り組みを行なったかを具体的にご紹介すると、「典型的なラテン・ミュージックのフォーマットに則った楽曲作り」がそれです。いざ言葉にすると極めて安直な発想ですね。今回はその線に沿ってラテン・ジャズ調とルンバ調(ルンバとはキューバの伝統リズム)の二曲を収録。私はカリブとかブラジルなど特定の文化圏に所属する特定の音楽を本格的に志している訳ではなく、あくまで「クロスオーバー趣味」の人間ですので、伝統的・正統的なラテン・ジャズやキューバ音楽を想像しながら聴かれると拍子抜けするかもしれませんが、とりあえずはここでコンガやボンゴ、ティンバレスなどポピュラーなラテン打楽器を多重録音しており、個人的には、一応これでパーカッショニストとしての面目は保てたのではないかと勝手に義務を果たしたつもりになっています。その辺実際どうなのかは、是非お聴きになって確かめて頂きたいと思います。
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最近のここの文章、長めの事が多くていかんなあと思っております。短くて面白い方が、読む側も書く側もハッピーに決まっています。そうは言っても簡潔に言いたい事をまとめるのはなかなか難しいもの。
そこで考えた手本は新聞の見出し。簡潔かつインパクトあるその文体に今後の活路を開くヒントがあるのではないか。以前にVOWに載っていた新聞見出しに秀逸なものがありました。ソ連崩壊直前にクーデターが発生し、一気にソビエト情勢が緊迫した時のものだったと思いますが、確か
緊張の夏、ソ連の夏
わずか二言で状況を説明し、なおかつ日本人なら誰でも笑えるツボを的確に押さえているという点で、これは歴史的な出来映えではないでしょうか。まあ無血革命だからこそ許される見出しで、普通だったら笑ってる場合じゃないですよね。クーデターですから。

もひとつ考えた簡潔の手段は、五七五のブログです。自身の音楽活動から今日の政局までを一日一句で綴る川柳ブログ。ものすごく短い。20年後には始めようと思います。そんな先の話かい、なんて言わないで下さい。20年なんてシャレにならない位に、哀しい位にあっという間ですから…。忘れないようにヤフーのリマインダーに登録しておきます。2026年10月16日、、、と。
しかし、来年の事を言うと鬼が笑うと昔の人は考えていたのに、20年後の予定まで組めるヤフー。とことん本気なのかふざけているのか、どっちなんでしょう。
エルメート・パスコアルというと、細かい譜割と跳躍の激しいメロディーを超絶スピードでユニゾンするようなブラジリアン・プログレッシブ・フュージョン風の曲から、スピーチや動物の鳴き声にメロディーやハーモニーをつけた音楽まで、俗に音のオモチャ箱とかサウンドのサーカスとか言われるような自由奔放、唯一無二の音楽性が引き合いに出されます。そういった特異な面ばかりに目を向けると、いかにもキワモノ的なサウンドを想像される向きもあるかもしれませんけれど、同時に彼の音楽は非常に美しく知的であり、勢いだけでやっている音楽や単なるハッタリなどとは一線を画した超弩級のモノ。また、ピアノやアコーディオンなどの鍵盤楽器からサックス、フルートそしてパーカッションまでも演奏するマルチ奏者としての側面も、彼の幅広い音楽性を語るのにはかかせない要素です。
この「神々の祭り」(Festa Dos Deuses)は90年代はじめに録音された物で、2006年10月初め現在、彼の作品中でも最も入手しやすい一枚である上に前述の特徴的要素が全て網羅されており、非常に面白くも聞き応えのあるアルバムです。
Hermeto Pascoal "Festa Dos Deuses"
タイトルが人文字になっています特に、当時のブラジル大統領のスピーチにメロディーをつけた五曲目"Pensamento Positivo"(英語で言えばPositive Thinking"か)は凄い。スピーチにメロを乗せる、と言葉で説明してもピンとこないかもしれませんが、例えば「オマエはアホか!」というセリフに「ドファファファドラレ!」というメロディーをつける事を例に挙げると分かりやすいのではないでしょうか。まあこの程度ならちょっと気の利いた園児でもやりそうな事ですが、「北朝鮮の行為は国際社会の総意を無視した暴挙であり、各国が足並みを揃えて圧力を強化すべきである」みたいな演説から音程を抽出してピッタリとユニゾンしたメロディーをつけ、同時に美しく複雑なハーモニーを響かせるのがエルメート流です。"Pensamento Positivo"は長さにして一分程度の小品ですが、最初に聞いたら誰でもビックリするはず。演説バージョン楽曲の他に、同じ手法の「親子の会話篇」なども収録されています。
また、動物の鳴き声でも同じ様な事をやっていて、これもオォッ!という感じ。「コケコッコー」も例えば「ファソラッファー」の様な音程に変換できる訳で、そこに和音をつけるとあたかもニワトリがメロディーを歌っているように聞こえてきます。こういう使い方だけでなく、普通のバンド演奏の中にコケコッコーがフィルイン的に挿入されたりもしていて、ただでさえ技巧的で派手な演奏にもうひとつ賑やかさが加味され、それはもう大騒ぎさ、という雰囲気が倍増。でもその結果生まれるサウンドが妙にカッコいいから不思議です。凡人がこれをやると、無意味に奇抜で、笑うところじゃないのに笑えてしまうような予期せぬ効果が生まれてしまいそう。(まあエルメートの作風も良い意味で笑えるといえば笑えますけど。)
私が思うにエルメートはインターネットはしていない様な気がしますし、よしんばしていてもこのページなど見ないでしょうし、百歩譲ってここに辿り着いたとしても、まさか日本語→ポルトガル語の変換かけて読んだりはしないと思うので告白しますが、そんな彼の事を私は日頃から親しみと敬愛を込めて(恐れ多くも)「ジジイ」と呼んでいます。彼は2006年現在で70歳。70歳でジジイなら、現在も第一線で活躍中のベテラン・ジャズ・ミュージシャンの多くは全員ジジイという事になってしまいますが、エルメートの場合、今も30年前もあまり変わらないそのインパクトある風貌がジジイと呼ぶにはあまりにもピッタリ。(エルメートご本人およびその熱烈なファンの皆さん、重ね重ねスミマセン。)
鬼才エルメート・パスコアル「なあなあ、今からジジイのCDかけてもいい?」「今度ジジイの古いアルバムが再発されんねんてさ」「ジジイの新しいヨメは20代やねんで(←これは本当、現時点での最新作は新妻と多重録音したデュオ・アルバムです)」等々、我が家でジジイと言えば、亡くなったご先祖様の事でもなければ隣のガンコ爺の事でもなく、エルメートの事を指します。「ジジイ」とまで一般化されるほどにその存在が日常に溶け込んでいるとは、ある意味、実に凄い事ではありませんか。私も「チビ」とか「ボウズ」とかまで一般化される位の存在になってみたいものです。「なあなあ、チビの新譜聞いた?」「今度、幻の存在だったボウズの古いアルバムが再発されんねんてさ」てな具合に。まあエルメートを前にしたら百年早いか、という感じですね正直なところ。自分が70歳になってもあのように創造的でありたいなと、素直にそう思い尊敬しております。
(2006年10月末リリースの新作の制作過程についての文章です。)
これまでにギター、ベース、ドラム、ボーカル、フルート等のダビング概況について記して参りましたが、それらの作業と並行して私自身もスタジオに足しげく通い、自分のパートをコツコツと録音しておりました。今回のアルバムでは(今回のアルバムでも)パーカッションとキーボード(と一部のドラム)を自分で演奏しているのですが、まずはキーボードの録音についてひとしきり語りを入れてみたいと思います。
2005年の秋から開始したデモ作りでは、作曲からアレンジまで、最終的な完成形を視野に入れて今までになく念入りな準備を行ないました。この段階で、メロディー、コード進行、リズムパターンからカウンターメロディーまでじっくりと練り上げています。そういった中でキーボードのバッキング・パートやソロ・パートの録音も行なっていた訳ですが、何個所かに出て来るエレクトリック・ピアノとシンセサイザーのソロは(少なくともキーボーディストではなくパーカッショニストであるという私の立場の割には)入魂の演奏が出来まして、プリプロ時の録音をそのまま本番でも使うことにしました。

このソロを聴いて「副業の割にはなかなかイイね」と言う人もいれば、「まだまだ本職に比べれば甘いよね」と言う人もいるでしょうが、俗に火事場の馬鹿力と申します通り、いざ録音、という状況下で私の持つ本来の鍵盤演奏能力を遥かに超えたプレイができました。そう言う訳で、個人的には「奇跡とは実際起こるものだなあ」としみじみ感じ入っております。まあ実際のソロを聴いたところで、奇跡を感じさせるにはほど遠いネと思われる方がほとんどでしょうけれど、あくまで自分の持てる力の中でどこまでやりきれたか、という個人的な判断基準に基づいての発言ですので、その辺は大人の配慮で優しく聞き流してやって下さい。それに奏者がパーカッショニストだろうがキーボーディストだろうが、そんなことは音楽に対するなんの言い訳にもならないですしね。演奏が良ければ良い、悪ければ悪い、ただそれだけの事です。
その他、オルガンやピアニカ、エレピなどいくつかのパートはデモ段階の演奏をそのまま残してありますが、ストリングス、アコースティック・ギター、アコースティック・ベース等の音をシミュレートしたシンセサイザーなどを中心に、その他のほとんどの鍵盤パートはスタジオで録音しなおしました。人がいると恥ずかしくて弾けないので、一人でスタジオにこもり録音する。その様子はさながら「鶴の恩返し」です。絶対に覗いちゃダメですよ。
総合的に見て、専門の鍵盤奏者を雇った方が良い結果がでたのではないか、という見方ももちろんあると思います。しかし自分で演奏する事により、予算の心配もせずに納得行くまで試行錯誤ができ、そして不器用な演奏は不器用な演奏なりに、自分自身の持つイメージや音楽観を明確に浮き彫りに出来たのではないかという点でも、失うもの以上に大きなメリットがあったのではないかと考えています。その辺も踏まえてアルバム全体に耳を傾けてもらうと、またひとつ面白い聞き方もできるのではないでしょうか。ある意味「必死にもがきながらも」なんとか善戦している私の姿が垣間見られるかも。ある程度までスムーズに聞こえたら私としては大成功ですが、それでも湖面を優雅に滑る白鳥の如く、目に見えぬ水面下では必死で水を掻いているのです。
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今回はウッカリしていて上映情報に気付かず、危うく劇場公開を見過ごすところでした、「マッチポイント」。ウディ・アレンは監督と脚本のみで出演はナシ。(本作はアカデミー脚本賞にノミネートされたとのこと。)主人公の青年クリスが元プロ・テニスプレイヤーという設定が秀逸です。映画冒頭ではネット上を行き交うテニスボールがスローモーションで映し出され、「ネットに引っ掛かったボールがどちらのコートに落ちるかは運次第。それが試合の明暗を分ける」という、作品全体を支配する暗喩が示されます。

(以下、オチまでは書いていませんが、簡単な粗筋を記しております。全くの予備知識なしに映画を鑑賞されたい方は、続きをお読みになりませんよう。良い出来なので、とりあえず少しでもこの作品に興味のある方は迷わず映画をご覧になることをお薦めします。ただし、いつものアレン作品の様にクスリと笑える様な要素は全くないので念の為。シリアス一本槍でコメディ色は一切ありませんし、神経質で厭世的であるが故に可笑しみを醸し出す様な妙な登場人物も一人として現れません。)
タヒチのボラボラ島はハネムーンのメッカであり、この島に来たらガラス張りの床下に熱帯魚が泳ぐような豪華バンガローに宿泊するというのが、半ばお約束のようなものです。パッケージのツアーに申込んだら、ある程度のクオリティーの宿が自動的にセットされているはず。しかし、私は全く旅慣れていないにも関わらず宿の予約は自分でしようと無謀なことを思い立ち、「地球の歩き方」片手に国際電話をかけまくりました。(当時はネット普及前でEメール予約は出来なかった。)自分で宿の手配をした方が色々な意味で安くつくだろうと思ったのも理由のひとつですが、結果的に万を超える電話代がかかってしまい、やはり旅のことは旅のプロに任せるべきだと思い知りました。
写真のバンガローはそうして予約したボラボラの安宿。(安宿とは言えど腐ってもボラボラ、他の島の安宿に比べると相当レベル高いです。)「ウチに日本人が来たのは初めてよ」と、称賛されているのか見下されているのか分からんことを宿主に言われました。写真右の方に写っている霊のようなモノが私です。
Photo by 家人
音楽雑誌など見ていると、「楽器の練習なんてしなくていいんだよ。それより絵を見たり、映画を見たりして感性を養うことの方が大事さ」などという有名ミュージシャンの発言が掲載されている事があります。そんな記事を見て「そうか、練習しないくてもいいのか!」などと思わず真に受けてしまった事も一度や二度ではありません。なんといっても「練習しなくて良い」方が、私の様なナマケ者にとってはラクですから。
しかし、こういう発言をするのは下記のいずれかに該当する人です。
(1)元々努力家なのだけれど、陰で猛練習しているなどとはカッコ悪くていえないので、「練習は不要」「練習なんてしてない」と豪放磊落ぶっている。(試験当日、誰もが「全然勉強してないよー」と言ってみせるのと同じ。「バッチリ勉強してきたよ」などと言う人には今まで一度もお目に掛かった事がありません。)
(2)元々努力家なので、本人に努力しているという自覚がない。こういう人は練習を一種の娯楽か何かと思っている。練習が楽しくて楽しくて一日8時間も楽器に向かい、自分は努力など一切していないと言う。(素晴らしい事です。)
(3)元々努力家なので、過去のある時期に既に膨大な量の練習をこなしており、現在は機械的な練習よりも感性や直感を磨くことに重点を置いている。(言うまでもないですが、練習途上の段階でも感性を研ぎ澄ます事は大切と思います。)
つまり「練習は不要」と言う人は、生来の努力家だからこそ逆説的に「強いて努力の必要なし」という主旨の言葉を発するのだと思われます。「感性」こそが素晴らしい音楽(映画、絵画、小説、写真etc...)を創り出す事自体は疑いの余地がないでしょうが、一方でそれを人に伝えるための「手段」や「技術」を習得して初めて、その人の「感性」が問われるのではないか。そういう意味では、自覚があるにせよないにせよ、練習は避けて通れないという事ですね。いくらトップミュージシャンが練習はイランと言っているからと言って、それを簡単に鵜呑みにするととんだ遠回りをしてしまいかねません。(私の事です。)
だからといって努力努力と力んでばかりいてもくたびれるので、個々のニーズに従ってバランスよくほどほどに、という事ですかね。(消費者金融のCMみたい。)必要を感じている人は出来る範囲で頑張ればいいし、休みたくなったら休めば良い。結局それだけの事なのかもしれません。
山歩きするマスオさん
平成五年、史上最年長の50歳で将棋名人位のタイトルを獲得した米長邦雄が、人間の「運」についてを語った一冊。実力の均衡するトップクラスの棋士達がしのぎを削るギリギリの世界で生きる人間の視点から「運を掴む方法」、「勝利の女神に好かれる方法」が記されています。将棋界での長い経験と古今の文献等に裏打ちされた豊富な知識に基づいて記されているその内容は、大変興味深いです。
米長邦雄「運を育てる」運が良い人生と悪い人生どちらがいいかと尋ねられ、敢えて後者を望む人は少ないでしょう。誰もが掴みたいと思っているのが「好運」。人生そのものは、必ずしも将棋のように「勝ち負け」で白黒つけるものではないかもしれません。しかし別に勝負にこだわらずとも、いかにして自身の内面と個性を発揮していくかという意味においては、個人の「努力」に加えてかなりの割合で「運」がモノを言うと考えられます。(もっとも、全てを「運」のせいにしての責任転嫁は禁物ですが。)そういう意味でも、自分もいっそう幸運な人間になれるよう心掛けたいものだと思わされた次第です。
とは言うものの、私自身は今でも十分な幸運に恵まれていますので、これ以上幸運幸運と騒いでもバチがあたりそうですが。ところで、米長邦雄というと「兄達は頭が悪いから東大に行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」という主旨の発言が有名ですが、これはご本人の言った事ではなく、別の第三者の言葉だそうです。本人いわく、「自分はそんな風に思っている事をそのまま口にしたりはしない」との事(笑)。それにしても棋士という職業を務める人達の頭の中、一度覗いてみたいもの。あれだけの脳味噌があったら、そのキャパシティを全て音楽に使えたら、やはり美しく豊かな音楽が止めどもなく溢れだしてくるのだろうか、などと訳のわからん事を考えてしまいました。優秀な指揮者とか歴史に残る大作曲家の脳はそれに近いモノがあるのかな。
とりあえず一言で本書の内容を要約すると、女神は「謙虚」と「笑い」を好むとの事。ご参考まで。
と言いつつ、↑この文章には全く「笑い」がないな…。
(2006年10月リリースの新作の制作過程についての文章です。)
各パートの大体のダビングを終えたところで、残すはフルート&サックスの録音です。ここでは、前々作"Perpetual Motion"でも大活躍してもらったマルチリード奏者、Hさんに再びご登場願いまして、2006年5月にレコーディングを行ないました。
今回関わってもらった他の多くの奏者の皆さんと同じく、Hさんとも知り合ってからかなり長い時間が経っています。もうかれこれ12〜3年になるでしょうか。その間、前述の録音作業を除くと一緒にプレイしたのは僅か一度だけなのですが、一定期間を経過するごとになぜかバッタリと顔を合わせる機会があり、これまで不思議と縁が途切れませんでした。日頃の彼はコルトレーン系のスタイルでシリアスにジャズを追及している真面目なテナーサックス奏者ですが(まあ私とて一応は真面目な奏者ですが)、その正統的、王道的なアプローチこそまさに今回のレコーディングで望むところ。更に、本作で多用したフルートの扱いにも精通しているという事で、本当に有難い存在です。(その他、ソプラノ、アルト、バスクラとなんでもござれのHさんです。)

しつこい様ですが人の縁とは不思議なモノで、この人と付き合ったら自分にトクだからと打算計算で考えて長続きするものでもナシ。一方で、ちょっとした心遣いが欠けているばっかりに縁遠くなってしまう人間関係というのもきっとあるでしょう。その微妙な加減は人為的にコントロール出来るとも限らない性質の物で、まさに「縁」と言うより他にありません。とは言え、やはり互いの「縁」を取り持つのは真心に他ならず、今生で頂いたあらゆる縁を大事に大事にしていこうと思います。
とまあ話が大きくそれたところで肝心のレコーディングですが、メロディー・パートが半分、ソロ・パートが半分と言った割合で着々と進行。歌心溢れるテーマ部分のみならず、非常にスリリングなソプラノサックス・ソロ&フルート・ソロを録音する事ができました。特に、ストリングスのカウンターラインをバックに従えながらのソプラノ・ソロがボーカルとユニゾンの大サビになだれ込むところなど絶品です。どうぞご期待下さい。
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確か海外旅行中に医者にかかった時だと思うのですが、処方されたクスリの瓶に"Keep out of the reach of children"(子供の手の届かないところに置いて下さい)と記されているのを発見し、ほー、どこの国でも決まり文句はおんなじだなあと感心した覚えがあります。(日本の薬の箱に書いてある注意書きは、単にこれの直訳なのかもしれないけれど。)
マイケル・ブレッカーのソロ名義としては二作目になるアルバム"Don't Try This at Home"(1988)、聴いたのは大昔のことで内容は全く覚えていないのですが(ハービー・ハンコック、マイク・スターン、チャーリー・ヘイデンなどの大物が参加しています)、やはり決まり文句を流用したアルバムタイトルとそれをイメージしたジャケットはなかなか面白くて強く印象に残っています。近年は重い血液の病気で再起が危ぶまれていたブレッカーですが、どうやら無事に回復したらしいとのことで何よりです。
決してマネをしないで下さい
スポーツの秋です。毎度の衣替え(?)でいつも楽しませてくれる商店街の招き猫が、今回は運動会仕様で登場しました。
招き猫、夏休みバージョン招き猫、正月バージョン

ある日の外出前、家人が言いました。
「さあて、しゃーっとサワー浴びようかな。」
エルメート・パスコアル・グループのベーシストを長年に渡り務めるItibereが率いる才能豊かなブラジルの若手集団、Itibere Orquestra Familiaのライブ映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=BmUkIr92umg冒頭は女の子三人(「女性」というよりも「女の子」という方が相応しい、それくらいに皆若く見える)の複雑なコーラスからスタート。ボーカル専任(写真の一番右)は一人で、後はバイオリンとクラリネットの子がボイス・パートを兼任。誰も私の女性の趣味なんぞ聞いちゃいないかもしれませんが、この中ではバイオリンの娘(写真の一番左)が好みです。(オマエ何様だと思われるご婦人方、楽器隊には男前のメンバーも多いので、女性の方も楽しめると思いますよ!?)ちなみに、ボーカル専任と思われた彼女はCDではヴィオラも担当しています。皆さん才色兼備で羨ましい限りです。

続いてピッコロ(?)とアコースティック・ベースのユニゾンでテーマが奏でられ、やがてブラジリアンなリズムに乗って管と弦を交えたカラフルなサウンドが展開されていきます。レコード売場の分類の範疇を超えた、真の意味でのワールド・ミュージック、いやユニバーサル・ミュージックと言ったらいいのか。映像だとCDで聴く以上に各奏者のリアルな息遣いや表情を垣間見ることができ、より一層生々しい感動を味わえます。これは現地のテレビ映像の様ですが、是非とも公式DVDを出して欲しいです。大所帯のメンバー全員を招いての日本公演など、到底望むべくもないでしょうから。

気に入ったらもう一曲どうぞ。こっちの演奏も凄いです。
http://www.youtube.com/watch?v=BnOMHXRsiEM&mode=related&search=
パット・メセニー・グループ(PMG)の公式サイトwww.patmethenygroup.comがパット・メセニーの個人サイト
http://www.patmetheny.comに移行した模様です。こちらで2006年9月発売の新作「メセニー・メルドー」(メセニーのギターとブラッド・メルドーのピアノによるコラボレーション作)の試聴が出来ます。基本的には二人のデュオが主体で、二曲だけカルテットでの演奏も収録されているとのこと。
Metheny Mehldau試聴サイトにはトップページから直接飛べるようになっていて、全部で三曲がまるまる聴けます。二曲がデュオ、一曲がカルテットという内訳。個人的には、デュオ演奏の透明感あふれる作風と演奏がツボです。ちょっとECMの頃のメセニー・サウンドを思わせるような瑞々しいプレイが実に素晴らしい。
ところで、www.patmethenygroup.comがなくなってしまったからと言ってPMGがなくなる訳じゃないよね、とちょっと心配しているのですが…。早くPMGの新作が聴きたくてたまらないです。現時点での最新作"The Way Up"でやりたい事をやりつくしてしまったので、しばらくは個人プロジェクトや他者とのコラボに専念する、とそういう事なのでしょうか。