Dave Grusinの"Night-Lines"は1984年作品。時代を反映してのことか、彼の作品には珍しい打ち込み主体アルバムです。いかにも80年代風のサウンドには、ややチープな印象さえ覚えますが、なにしろ個人的に思い入れが深いもので、そういう意味での「思い込み」に強くささえられた私的名作です。
1984年は自分が初めて都会で一人暮らしを始めた年で、期待と不安の入り交じった中で聴いた当時の新譜の事を思い出すと、何とも言えない心持ちになります。グルーシンの「ナイト・ラインズ」、マイルスの「デコイ」、ナベサダの「ランデブー」、クルセイダーズの「ゲットー・ブラスター」、ジョン・スコフィールドの「エレクトリック・アウトレット」等々。なかでも「ゲットー・ブラスター」は当時大駄作の烙印を押され、音楽雑誌で酷評されていましたが、私は結構好きでした。音楽や映画などに対する感慨というのは、その時々の個人のストーリーと密接に結び付いていたりするので、世間一般の客観的評価とは必ずしも一致しなかったりするものですね。
「ナイト・ラインズ」は、今となってはデイブ・グルーシンの歴史の中で異彩を放つ作品になっているとは思いますが、隠そうと思っても隠しきれない彼の個性を揺るぎなく発揮しているという点では、他のグルーシン諸作品となんら変わらない魅力を湛えていると思います。
と思い込みの強い私が申し上げます。
「ナイト・ラインズ」、初回リリース時の国内盤ジャケット
現在発売中の国内盤ジャケは、海外盤と同じデザインに変更されている
「グッバイ・レーニン」を見てみました。てっきりロシア映画かと思っていたら、ドイツ映画だそうです。純粋なドイツ映画を意識的に観るのは「マリア・ブラウンの結婚」、「ブリキの太鼓」以来、今までの人生でやっと三回目です。

まったく何の予備知識もなしに見始めたら、冒頭の映像と音楽(切ないピアノのアルペジオ)でいきなりウルウル来てしまいました。まだストーリーもわからないのに、絵と音だけで泣かせるとは凄い映画です。この素晴らしい音楽を担当したのはいったい誰かと後でエンドロールを見てみたらヤン・ティルセンだったので、なるほどと思わず膝を打ちました。さて肝心の中味ですが、東西ドイツの統一を前後して描かれる、とある東ドイツ家族の物語。国家の存亡と家族の危機が巧みに絡められて話が進行していきます。もっと詳しく説明したいところですが、設定自体が映画の面白さの根幹に関わっているので、そうとだけ言っておきます。決して笑う映画ではないのですが、各登場人物も個性豊かで魅力的、時にコミカルな描写がなかなか愉快です。
ちなみに、「グッバイ・レーニン」のヴォルフガング・ベッカー監督はスタンリー・キューブリックに相当入れ込んでいるように思えます。気付いた点だけ列挙すると、
(1)撮影マニアの同僚が、自分の撮った結婚式のビデオで「2001年宇宙の旅」の有名シーン(猿人が骨を投げる)と同じ編集をして、自慢気に主人公に見せる。
(2)部屋の模様替えシーンがコマ落としの早回し映像で、音楽も倍速のウィリアム・テル序曲なのは「時計じかけのオレンジ」の一場面からの引用。
(3)主人公の名前が、「時計じかけのオレンジ」の主人公と同じ「アレックス」。主人公が語り部となって物語が進行する点も共通。
他にもキューブリックの影響を示唆しているシーンがあるかもしれません。とにかく出来の良い作品で、いち家庭の波乱万丈ぶりと国家の盛衰を軸にして、宇宙規模の神秘さえも感じさせる感動作です。(まあ実際に宇宙の話も関係してくるので、感想としてはそのまんまですが。)
この映画の様に、世界のマーケットを意識したドイツ映画が最近増えているそうです。ヨーロッパ映画に多い倦怠と不可解に満ちたエンディングよりは能動的で明解な方が好みなので、個人的には嬉しい傾向です。
テレビの多重音声やらインターネットやらで巷に英語は溢れるようになりましたが、それ以外の外国語に触れる機会は日常ではまだまだ少ないというのが現状です。そんな時は、市販の語学教材付属のCDに頼らざるを得ません。初歩の外国語教材はいずれも内容的には大差なく、せいぜいボリュームがあるかないかの違いだと思います。従って、どこの出版社の物を使うかを考えるにあたっては、一見どうでもいいような些細な点が問題になってくる訳です。とりあえず、外国語を聴く為のCDなのにやたらと日本語ナレーションが多いのはいただけません。

「(おざなりな打ち込みで作ったBGMに乗せ、アニメ声優風の明るいお姉さんの声で、必要以上の感情移入とともに)皆さんこんにちは!!!!これから一緒に○×△語の勉強を始めましょう!!!!!このCDは毎日繰り返し繰り返し聴いて下さい!!!初めは全く聞き取れないかもしれませんが、やがて少しづつ聞き取れるようになってきてうんぬんかんぬん。それではレッスンそのいち。税関にて!!!!」
こちらは最初から繰り返し聞くためにCDを購っている訳ですし、何よりも外国語CDで日本語を何度も聞かされるのが時間のムダです。車で聴きながら信号待ちの時など、お姉さんのあまりの元気の良さに恥ずかしくなってついついボリュームを下げてしまう。その点、過去に使ってみて具合の良かったのが三修社のCDで、余計な日本語が一切入っておらず非常に使い易いです。(とりあえず私が使ったものに限っての話で、全部が全部そうかどうかは不明。)
まあこういう教材というのは、書店であれこれ物色して購入するまでが一番楽しい時間であり、買っては満足するという事を繰り返して本棚の肥やしにしている訳ですが。
先日「シベリア超特急」のことにも触れたばかりでしたが、その監督で映画解説者の水野晴郎氏が倒れて入院したとのこと。
映画監督としての手腕にはハテナマークがつくものの、テレビの洋画劇場が映画を楽しむための数少ない手段だった時代には、随分彼の解説に親しんだものです。彼が担当していた「水曜ロードショー」(後に曜日が変わって「金曜ロードショー」に変更)の当時のオープニングは、夕暮れの波止場とヨットの映像にニニ・ロッソのトランペット。各局の放映する洋画劇場の中でも、特に印象的でした。
wikipedia 金曜ロードショー淀川長治、荻昌弘、高島忠男など、当時テレビで映画解説を担当していた諸氏もあるいは故人となり、あるいは一線を退き、改めて時代の流れを痛感します。水野晴郎氏には是非元気にカムバックして頂きたいところです。
デンマーク在住のパーカッショニスト、マリリン・マズールの演奏は80年代に二回見ました。最初はウェイン・ショーターのバンドで、二回目はマイルス・デイビスのバンドで。いずれも野外会場で席が遠かった為、その場で彼女のプレイを十分堪能するには至らなかったのですが、後にその時の模様がテレビ放映され、特にショーター・バンドでのマズールのプレイには打ちのめされました。鋭利なリズムと豊かな色彩、あまりのカッコ良さに彼女の映る場面ばかり何度も見返してしまったものです。それにしても、あの時のビデオはどこに行ってしまったのか。
Miles Davis and Marilyn Mazur音楽の話をする時に男だの女だの言う事自体が的外れかもしれませんが、女流奏者のイカした演奏には、男性プレイヤーのそれ以上に強く訴えかけてくるものを感じてしまいます。(視覚的な情報に惑わされているだけという話もあります。)
近年のマズールは、ヤン・ガルバレクのバンドで重要なポジションを担ったりしているようです。久し振りに彼女のパフォーマンス見てみたいです。2004年にはガルバレク・グループで来日していたそうな。
ヒッチコックの巻き込まれ型サスペンスの集大成と言われる傑作。主演ケイリー・グラントの軽妙洒脱な演技が、大変な事件に巻き込まれた主人公の悲壮さを全く感じさせずコミカルな味わいを醸し出しており、実に見事です。謎の美女エヴァ・マリー・セイントのクール・ビューティーぶり、敵役ジェームス・メイソンの悪徳紳士ぶり、手下のマーチン・ランドーの冷血漢ぶり、どれを取っても一切合切非の打ち所なし。音楽はヒッチコックと言えばこの人のバーナード・ハーマンで、低音管楽器と弦で巧みに物語を煽ります。

原題は"North by Northwest"なのですが、実際に「北北西」を意味する英語は"Northwest by North"。これは主人公の混乱した心境を表しているタイトルだ、と昔誰かがテレビで言っていましたが、真偽のほどはよく分かりません。
ところで、「北北西に進路を取れ」冒頭の有名なタイトルバック映像を、水野晴郎が自身の監督作「シベリア超特急」(笑)のオープニングで引用しています。しかし、悲しいかなヒッチコックへのオマージュではなくてただのパロディになってしまっており、涙ナシでは観られません。偉大な先達の見事な仕事を消化して自らの表現に昇華(ダジャレではない)させるというのは、なかなか大変な事なのだなあとあらためて実感し、思わず我が身に照らしてしまいます。「シベリア超特急」はその他、歴史的映画の
パロディオマージュ満載で、映画好きの人ほど笑えると思います。
ビル・エバンスの晩年のレコーディングの中では比較的有名な作品だと思います。ハーモニカにトゥーツ・シールマンスを迎えて、"Body and Soul"や"Blue in Green"など文字通り泣きの演奏が繰り広げられます。今更なコメントで恐縮ですが、クロマチック・ハーモニカでどうしてあんなすごい演奏が出来るのか、全く信じられません。
Bill Evans "Affinity"この"Affinity"では、ポール・サイモンの「君の愛のために」("I Do It For Your Love")が取り上げてられているのも個人的にポイント高し。ジャズ系でぱっと思い出すところではハービー・ハンコック(スカボロー・フェア)、ブラッド・メルドー(時の流れに)、ボブ・ジェームス(夢のマルディグラ)などもサイモンのナンバーを演奏していてそれぞれに持ち味を発揮しているのですが、中でもこのエバンスのパフォーマンスは心に染みます。
ところで、私も一応クロマチック・ハーモニカ持っています(吹けません)。トゥーツ・シールマンスの話をしている時にこんな事を言うのは、松井に向かって「僕も野球やってるんですよ」と声をかけるようなものかもしれませんが。
「梅醤(うめしょう)」は、自然塩で漬けた天日干し梅干しを練って国内産原料の天然醸造醤油を加えたペースト状の物です。番茶を注いで梅醤番茶としてお飲み下さい、とのことですが、番茶がないので取りあえずお湯に溶かして飲んでいます。

こんな事を話しても今更自慢話にもならないと思うので率直に言いますが、小、中、高の間は割と優等生でした。末は博士か大臣かと自分でも薄々思っていたほどです。(しかし大学に入ってからは反動でダメ人間に変貌。)
ただ、小学一年の時は全く出来ない子供だったのです。二年生の時の担任のG先生が「やれば出来る子」として私に接してくれたという記憶があり、カン違いした私の子供時代の躍進(笑)はここから始まったように思います。
結局、劣等生になるか優等生になるかというのは生まれもって決まっている物ではなくて、周囲の大人たちの理解とか動機づけによって左右される事柄ではないかと思います。一方、大人になった今は誰もそんな動機づけはしてくれないので、自分に対して自らがそういう好意的評価をしてあげることが大事であることだなあ、と思う訳です。

正月に初詣に行った時、その辺に出ていた屋台を一通り見て回ったのですが、残念ながら探していた
水笛はありませんでした。しかし、付近の土産物屋でうぐいす笛を発見。前に同じものを持っていたのですが壊してしまったので、この機会に購入しておきました。

笛といえば、自由自在に吹けるようになりたいと思うのは口笛です。以前に口笛の全国大会(!)に出た人のインタビューがテレビで流れていたのですが、やはり毎日毎日相当量の練習メニューをこなしているとのこと。一芸に秀でた人はさすがに努力しているのだなと、妙な場面で実感したものです。
「蒼穹の昴」や「
地下鉄(メトロ)に乗って」等々、多くの感動小説を書いている浅田次郎の抱腹絶倒のエッセイです。1997年の直木賞受賞にまたがる形で、週刊現代に連載されていた物。全部で4巻出ています。
彼のエッセイには絶妙のバランス感覚を感じます。現代社会に物申す、と言った風情の固めの問題提起をしている回でも、必ず適度の笑いと涙が盛り込まれ、どんなに難しいテーマを扱おうとも徹頭徹尾読み手を楽しませようという意志が伝わってきます。また、有名な話ですが「自衛隊→裏社会→アパレル関係」という変遷を辿ったデビュー前の経歴の破天荒さと、そういった一風変わった道のりを経てきたとはとても信じられない巧みな筆致の織り成すハーモニー、これがまた絶品中の絶品。豊かな表現力と見事な構成力にはいつも脱帽です。

「
ボンドガール考」のコメント欄で、私の長年の研究にTさんからご意見賜わりました。つまらない話に熱いコメント恐縮です。返事が長くなったのでこちらに書きました。「007は二度死ぬ」若林映子は私も好きです。あっというまに忍者(笑)に殺されてしまったのは大変残念なことで、どちらかというと彼女をメインのボンドガールにして頂きたかったくらいです。
日本を舞台にした「007は二度死ぬ」イタリア版ポスターチョイ役で出ている無数のキレイどころも含めると、正確な意味でのボンドガールの定義は難しいと思うのですが、私はとりあえず映画的にみて「悪役でも役が大きければボンドガール」と考えています。(ウィキペディアの「ボンドガール」解説でも、どうやら悪役も含めて捉えている様です。)「ゴールドフィンガー」のオナー・ブラックマン、「サンダーボール作戦」のクローディーヌ・オージェなどは悪役のガールフレンドとして登場しますが、これは最後は寝返ってボンドといい仲になるので正統的なボンドガールと言えましょう。他に、ボンドに情報提供し裏切り者として殺されてしまう脇役ボンドガールは、枚挙にいとまがありません。いずれも共通点は、「悪者サイドの女性も最後はボンドの色気に負けて味方になる」という事ですね。初期の作品はこの路線が一貫していたように思います。
一方、純粋に悪役に徹してボンドにまったくなびかなかったのは「私を愛したスパイ」の女殺し屋、キャロライン・マンロー辺りが起源かと思われます。(「ロシアより愛を込めて」の殺し屋婆さんもいましたが、さすがのボンドも彼女は恋愛対象外と思うので除外。)マンローは小さい役ですぐにボンドに殺されてしまいましたが、これの発展系サディスティック・バージョンが「ゴールデン・アイ」のファムケ・ヤンセンではないかと。
「トゥモロー・ネバー・ダイ」のミシェル・ヨーの場合はあくまで味方の諜報員ですが、こちらはこちらであまりにも男勝り過ぎて最後までボンドとイチャつく事はなく、ソフィー・マルソーも持ち前の妖艶さでボンドを魅惑し翻弄しつつも恋愛感情はほとんど見せない。「ボンドとの色恋沙汰を大きくストーリーに絡めない」というのが、最近のボンドガールの新しい潮流ではないかと思います。
私としては、ここいらで初心に帰ってドカンとセクシー・ダイナマイト(死語)をぶちかまし、子供もあざ笑うような大恋愛模様を盛り込んで欲しいです。
ここのところ新しいアルバム用の曲作りを行なっており、我ながら結構いい感触なのですが、家人が勝手に下品な歌詞を乗せて歌うので困っています。

四半世紀に渡る研究の結果、
ボンドガールは映画のキャラクター設定上で大まかに三つのタイプに分けられるのではないかと考えるに至りました。
【1】野生的水着美人系
「ドクター・ノオ」のウルスラ・アンドレス、「サンダーボール作戦」のクローディーヌ・オージェ、「私を愛したスパイ」のバーバラ・バック等。(バーバラ・バックは作中では水着にはなってはおりませんが。)基本的には、このカテゴリーがボンドガールのデフォルトと思われます。
【2】清楚令嬢系
「ロシアより愛を込めて」のダニエラ・ビアンキ、「死ぬのは奴らだ」のジェーン・シーモア、「リビング・デイライツ」のマリアム・ダボ等。「ユア・アイズ・オンリー」のスケート少女、リン・ホリー・ジョンソンもこのバリエーション。たおやかな日本女性が初めてボンドガールを務めた「007は二度死ぬ」の浜美枝と若林映子も、西洋人的視点ではもしかしたらこの分類なのかも。
【3】男勝り系
「ゴールドフィンガー」のオナー・ブラックマン、「私を愛したスパイ」のキャロライン・マンロー、「美しき獲物たち」のグレイス・ジョーンズ、「ゴールデン・アイ」のファムケ・ヤンセン、「トゥモロー・ネバー・ダイ」のミシェル・ヨー等。
【4】足手まといお笑い系(結局3つじゃなくて4つでした)
「黄金銃を持つ男」のブリット・エクランド(←ピーター・セラーズの元嫁です)
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近年はボンドガール像も複雑化しているので一筋縄ではカテゴライズできない部分もありますが、以上の路線またはその複合形ということで、ほとんどが分類可能ではないかと思います。「ワールド・イズ・ノット・イナフ」のソフィー・マルソーなどは、敢えて言えば【1】〜【3】の混合タイプか。
Sophie Marceau
Dori Caymmiの曲は実に良いのです。特にこの"Brasilian Serenata"の一曲目「アマゾン・リバー」は何度も転調しながら繰り返されるメロディーが切なくも美しく、このまま永遠に終わらないで欲しいと思わずにはいられない名曲。ドリのボーカルに重なってくる女性コーラスは天女が舞い降りる光景さえも思い起こさせ、とてもこの世の物とは思えません。(ピアノのギル・ゴールドスタインも自身のアルバム"
Infinite Love"で「アマゾン・リバー」を取り上げており、この美メロに乗せて感動的なピアノ・ソロを繰り広げています。)
Dori Caymmi "Brasilian Serenata"などと書きながら改めてライナーノーツに記されたドリ本人のコメントを読んでいたら、「アマゾン・リバー」は破壊の危機に瀕しているアマゾンの自然に捧げられた曲、との事。この曲のえもいわれぬ美しさと哀しさの背後には、そういう強い思い入れがあった訳です。個人的には楽曲に込められた思いとか背景などに意外と無頓着だったりするのですが(歌詞のない音楽の場合は、曲名くらいしか手掛かりがないですしね)、この「アマゾン・リバー」のただならぬ出来映えは、単なる作曲技法だけでは説明のつかない崇高な理念ゆえの物だったのかと思えばそれも納得です。
それにしても美しい…。
父親はパーカッショニストのピート・エスコヴェード、兄弟も皆打楽器奏者というサラブレッド中のサラブレッド、シーラE.ことシーラ・エスコヴェード。単なる音楽エリートというだけではなく、「
グラマラス・ライフ」に代表されるヒット作でポップ・スターとしても活躍した彼女のプレイは、力強さと華やかさが同居していて非常に格好がよろしいです。(スターとしての彼女しか知らない人には驚きかもしれませんが、彼女はバリバリの超本格派パーカッショニストなのです。)
Sheila E.シーラE.と言えば、宝島が出しているネタ本"VOW"に、彼女にまつわるカン違い記事が取り上げられていたことがありました。ライター氏はシーラE.のことをシーラ・イーストンだと思い込んでいたようで(註・シーナ・イーストンが実在のシンガー)、記事中で「シーラ・イーストン」を連呼。内容も「ノーパンで網タイツのシーラ・イーストン、ウ〜ンもう最高!シーラ・イーストンにはこの際ぜひ脱いでもらいたい。それが一番シーラ・イーストンらしい事なのだから…。」とか言った感じの世紀末的文章でした。それにしても、編集者は気付かなかったのかね。
Sheila E.のオフィシャルサイトでは、「グラマラス・ライフ」をはじめ、代表作の抜粋試聴もできます。
ここ数ヶ月の間は、なるべく毎日ブログを更新する様にしています。映画紹介とかそんなのばっかりで、別に大した事を書いている訳ではないのですけれど、ある程度コンスタントに続けている内に脳の普段使わない部位を刺激している様な気がしてきました。日記なんて誰でも書いているのに大袈裟でしょうか。
年末から新しいアルバム用の曲作りに励んでいるのですが、曲の起承転結をつける過程が、なんだか読み手を意識した作文作業とかなり似ているという印象なのです。駄文と言えども、日々綴る事で「頭の中にあるものを無理やりでも捻り出して形にする」という訓練にはなっている様子です。まあそういう意味では、音楽とほとんど関連のない映画を観ても小説を読んでも自分の音楽に反映されているフシがあるので、どんな物事でも脳内で関連づけられているのだろうとは思いますが。
当分はこのペースで書き続けられたら、と思っています。

大ヒット作「
クレイマー、クレイマー」の次にダスティン・ホフマンが出演したのは、シドニー・ポラック監督の「トッツィー」(1982)でした。当時の映画雑誌で「ダスティン・ホフマンの次回作はTOOTSIE(トウーツィー)に決定!」という記事を見たのを今でもよく覚えています。
フランス語版ポスター売れない役者が女装してテレビドラマのオーディションに挑み、それが大ヒットしたが故に女装生活を継続する事を余儀なくされるという話。男からは言い寄られるわ、思いを寄せる女性からは親友扱いされるわでもう大変です。ヒロインのジェシカ・ラングは本作でオスカー獲得。悪名高き1976年のリメイク版「キングコング」でヒロインを演じた彼女は、映画の不作振りのせいでその後かなり苦労したらしいですが、別にコングが不出来なのは彼女のせいではないのにね。(それにしてもあのキングコングは酷かった。)助演女優賞ノミネートのテリー・ガーのサポート振りも素晴らしいです。テリー・ガーと言ってピンと来る方は少ないと思いますが、当時大活躍していたコメディエンヌ。生まれて初めて見た洋画「未知との遭遇」に彼女が出ていたので、どうしてもその後の動向が気になってしまいます。あと、チョイ役で若き日のジーナ・デイビスも出ています。
音楽担当は、ポラック作品をしばしば手掛けているデイブ・グルーシン。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、彼が主宰していたGRPレコードの同時期の作品群と共通した作風で、テーマのキラキラしたイントロがいかにも映画の幕開けに相応しいです。挿入歌はこの年のアカデミー主題歌賞にノミネートされました。
藤田朋子と言えば「渡る世間は鬼ばかり」ですが、彼女が朝の連続テレビ小説に出演した後の1989年にリリースされたファースト・アルバム"The Woman in Me"では、予想外に(?)洗練された世界が繰り広げられています。特筆すべきは、当時GRP所属アーティストだった横倉裕こと
YUTAKAがプロデュース、アレンジ、キーボードを担当している事。アルバムは全編英詞のAOR的作風という意欲作で、意外にも、と言っては失礼ですが、本人かなりしっかり歌っています。

レノン/マッカートニー、キャロル・キング等のナンバーを取り上げており、一見アイドル女優と見えて実は本格派なんだよ、という事を示すのが本作の狙いのひとつだと思われますが、特に私が気に入っているのは、ドン・グルーシン作曲の"Wait for Me"と、YUTAKA作曲の"Summer without You"の二曲。前者はパティ・オースティンも自身のアルバムで歌っており、後者は元セルジオ・メンデス&ブラジル'66のラニ・ホールが作詞を手掛けています。いずれも名曲。
YUTAKA名義のアルバムが最後にリリースされてから既に12年以上が経過しており、そういった中で、"The Woman in Me"は寡作な彼の仕事ぶりを楽しめる貴重な作品と言えましょう。それにしても、そろそろ新作出してくれないかな。
先日は趣味の外国語(正確に言うと、かつては趣味だった事のある外国語)の事を書きました。多くの人が感じている事かもしれませんが、「外国語」と「楽器」は習得のプロセスが非常に似ていると思います。
●まずは、とことんお手本を「聴く」。
●次に、自分で実際に手本をまねて「音を出す」。
●常に実践が重要であって、机上で理論(文法)ばかり追いかけても上達しない。しかし一定以上のレベルを目指す場合は、ある程度の理論(文法)は避けては通れない。
また、「各楽器の違い」は「各言語の違い」に近いというイメージがあります。「ギターとベース」は「スペイン語とイタリア語」の様によく似ており、「バイオリンとトランペット」の相違は、例えて言えば「中国語とアラビア語」の違いの様なものではないかと。一つをマスターすると二つ目、三つ目の習得が容易になる、というのも楽器と外国語の共通点という気がします。(一つ目の体系を理解すると、二つ目以降の持つそれぞれのシステムを一瞥して把握しやすくなるというのもあるし、単純に経験則として一つ目で掴んだ習得のコツが生きるとも言える。)
楽器や外国語が達者になったからと言って人間としての価値が上がる訳ではないですが、(フランス語に堪能な詐欺師とかピアノの上手い強盗とか、世の中にはきっといると思うですよ)、そういう事を抜きにしてもなんだかハマってしまう世界ではあります。

「フレンズ」は、70年代フュージョン的アプローチが特徴的な4ビート物。曲がよくて私は結構好きです。スティーブ・ガッドの4ビートも巷間ではあれこれ言われておるようですが、音楽的アプローチとしては非常に的確と言うか、ツボを押えまくっていてさすがです。
ミシェル・ペトルチアーニなどは「ガッドの4ビートがスウィングしないと言う人は、いったい何を聞いているんだと言いたい」という主旨の発言をしております。まあ結局は好みの問題なのでしょうけれど、とりあえずチック・コリアとガッドの音楽的相性は相当いいのではないでしょうか。
ジャケットは国内盤と輸入盤で二種類あり。
輸入盤はスマーフ君 オマケ:スマーフ君オフィシャル・サイト
国内盤はほとんど鳥獣戯画
家人がニヤニヤしながら会社四季報を見ていました。そんなに笑えるのなら自分も読んでみようかと思ったほどです。何が可笑しいのか理由を尋ねましたが、本人は笑っていたつもりはないとのこと。
家人いわく、私が鍵盤に向かって曲を作ったりダビングしている時も、やはりニヤニヤしているそうです。私としては苦悶の表情を浮かべている状態のはずですが。(ギタリストが苦しそうにチョーキングしている時、またはサキソフォニストが眉をしかめてフラジオしている時のイメージ。)
当人の実際の心理状態と傍から見たその時の表情は、必ずしも一対一で対応しないという事ですね。

仕事人間の夫、自分を取り戻す為に家を出る妻。幼い子供の面倒をどちらが見るかを裁判で争う中、初めて家族という物を見つめ直すクレイマー夫妻の物語。原題はKramer vs. Kramer、つまりクレーマー氏対クレーマー夫人ということですね。公開時に劇場で観て非常に感動しました。ラストシーンの余韻は、映画史に残るものではないでしょうか。70年代終盤には女性の自立を謳う映画が多く作られ、とりわけ「クレイマー、クレイマー」とジル・クレイバーグの「結婚しない女」が強く印象に残っています。(後者のラストも鮮烈だった。)
離婚劇にこういうポスターは泣けます「クレイマー、クレイマー」ではバロック音楽が効果的に使われています。なかでもビバルディによるマンドリン(多分)の為の楽曲は、何か陽光が射し込んでくるようなきらめきを感じさせ、これで映画の感動が三割増しになっていると思われます。当時7歳の子役、ジャスティン・ヘンリーも超好演で、当時「ペーパームーン」(1973)でテータム・オニールが持っていたオスカーの最年少受賞記録を破るかどうかで話題になりました。(残念ながら受賞は逃す。確か今なおテータムが記録保持中のはず。)
アメリカの子役の上手さにはいつも驚かされますが、ジャスティン君はそれまで全く演技経験がなかったとのことで、それにもビックリ。近年になって俳優業を復活させているとのことで、是非とも頑張って欲しいものです。
1月は某紙「私の履歴書」で北杜夫の半生記が連載されており、毎日楽しみにしています。高校の頃は「どくとるマンボウ」物のエッセイが好きで、学校の図書室に置いてあるものをよく読んでいたので。
wikipedia 北杜夫北杜夫の書いた純文学作品のひとつが「楡家の人びと」。精神病院を営む楡家の人々の人間模様を戦前、戦後に渡って描きながら、昭和という時代を炙り出した長編小説。(という感じだったと思います。二十年以上前に読んだので、ほとんど忘れてしまいました。当時はかなり感動したのですが、まったくいい加減なものです。)北杜夫の祖父は実際に精神病院を経営しており、自伝的要素の強い小説と言われています。尚、言うまでもないかもしれませんが、北杜夫の父は歌人の斎藤茂吉です。

ちなみに、「どくとるマンボウ」シリーズと並んで昭和三十年代の若者に人気があったエッセイが、遠藤周作の書いた一連の「狐狸庵閑話(こりやあかんわ)」で、これもほとんど読みました。しかし、遠藤周作の純文学はいずれも「日本人とキリスト教」についてのテーマが根底に流れていてかなりヘヴィなせいもあり、いまだに一冊しか読んでおりません。全般に、純文学というものは高尚で難解で自分にはやや敷居が高く、安直ながらも大衆小説または中間小説(死語か?)の方に魅かれてしまいます。自分の音楽傾向も、やはりそちら向きだと思いますし。
強いて言えば、娯楽性と芸術性を両立できたら最高ですね。死ぬまでにはぜひとも達成したいです。
大晦日は紅白、格闘技などを適当にザッピングしつつ第九の第四楽章でカウントダウンするという、日本人として比較的正しい年末を過ごしておりました。
そんな中、紅白に出ていた「グループ魂」の「君にジュースを買ってあげる」を初めて見て衝撃を受けました。リード・ボーカルである俳優の阿部サダヲは97年頃の映画「トキワ荘の青春」で初めて見ましたが、その時は(いい意味で)演技らしい演技はしない穏やかな佇まいだったので、今回の歌のテンションの高さに驚くとともに、なぜか強く魅かれてしまいました。何がどうツボだったのかは自分でもよく分かりません。
年始はウィーン・フィルのラデツキー行進曲でこれまた盛り上がりました。結局、普段の趣味とは明らかに異質の事柄で高揚した年末年始でしたが、これが祭りの魔力でしょうか。
これは昔の奴
80年代にはブラック・コンテンポラリーの世界で成功を収めたパトリース・ラッシェンは、元々はジャズ・ピアニスト。70年代後半にはリー・リトナーのバンドにも参加しており、更に硬派な自身のファースト・アルバム「プレリュージョン」(1974)からは、後のポップな姿を想像するのがちょっと難しい。ストレート・アヘッドなスタイルからヘッドハンターズ的ジャズ・ファンクまでを奔放に演奏しています。
Patrice Rushen "Prelusion"中でも一曲目の"Shortie's Portion"は、ブルーノート時代のハービー・ハンコックを彷彿とさせるモダンなホーン・アレンジと、そこで繰り広げられるゴリゴリで躍動的なピアノ・プレイが実にカッコイイです。ジョー・ヘンダーソンのソロをフィーチャーしているのも、ハンコックの"The Prisoner"あたりを意識しているのかな。
下の写真はブラコン路線のヒット作、"Straight from the Heart"です。"Forget Me Not"、"Reminds Me"、"Breakout"等の名曲、ヒット曲が収録されています。その筋では随分サンプリングもされているようで、中でもウィル・スミスのトラックは有名。ちなみに、この"Straight from the Heart"の邦題は「ハート泥棒」(笑)です。
Patrice Rushen "Straight from the Heart"
今年の目標は色々掲げているのですが、趣味の領域では「語学を頑張る」というのがあります。7〜8年程前までは外国語(主にロマンス語、つまりラテン語起源の言語群)が好きで、かなりの労力を割いてその習得に勤しんでおりました。別にそれで海外旅行するでもなく、ビジネスに生かすでもなく、インプットしてはただ自己満足するという非生産的作業でしたが、単に楽しかったので。しかしそういった日々からもいつしか遠ざかってしまい、今ではすっかりシロートに逆戻りです。
語学に励む、などというといかにもアカデミックな活動のように思えますが、机に向かって勉強するのが大嫌いなので、やることと言えば家や車でCDを聴きまくるだけ。今年も一枚のCDを1000回ほど聴いて丸覚えしてからテキストを開こうと思っています。従って、2006年はCDを聴くだけで終わると予想されます。
10年前、カセット付き語学テキストは一冊2500円〜4000円位、高い物で5000円以上していました。(人気の低い言語ほど需要も少なく、テキストも高い。あとH水社のは大体高い。)しかし、デフレ傾向が強まった数年前から語学業界でも価格破壊の波が起こり、CD2枚付きで1500円などのように非常に買い求めやすい値段になりました。愛好家には大変ありがたい傾向です。
尚、私は外国語習得のプロセスが好きなだけで決して語学堪能という訳ではありませんので、その点をお間違いなく。何か分からん言語で話しかけたりしてこられませんよう、くれぐれもお願いします。
今年はこれをやります
家人の撮った携帯写真にUFOが写りました。
過度の期待を抱かずに「
ヨメの日記」の方をご覧下さい。
尚、二重露出、合成等は一切行なっておりません。
原作:勝鹿北星、作画:浦沢直樹により1988年から94年にかけてビッグコミックオリジナルに連載された漫画作品。オックスフォードで考古学を専攻し、研究生活を望みながらも保険調査員(=探偵)の仕事に甘んじている主人公の平賀キートン太一の生き様を縦糸に、彼が担当する様々な事件に関わる人々の人間模様と、冷戦構造崩壊後のヨーロッパ社会で時代に翻弄される庶民の悲劇を横糸に織り成された大傑作です。物語の節々に垣間見られるのは、人生の美しさと儚さ。

英国軍特殊部隊でサバイバル訓練を受けた経験を持つというタフガイ振りと、受験生の娘を持つ悩める父親としての優柔不断振りのアンビバレントな部分が、主人公の人間描写にただならぬ奥行きを与えています。何よりも、本職の考古学から離れてしまっても研究への情熱を失わないキートンの真摯な姿勢に、強い共感を覚えます。普通に探偵モノとして読んでも十分面白く、とにかく扱う題材の幅広さには驚くばかり。英国要人の救出作戦から娘の友人のトラブル解決まで、テロリストとの対決から迷い犬の捜索まで。
原作者との権利問題がこじれているらしく、残念な事に現在は絶版状態とのことですが、浦沢直樹の凄みを真に感じさせる作品です。
次回作「カジノ・ロワイヤル」の完成が待たれる007シリーズ。六代目のジェームス・ボンド役がダニエル・クレイグに決まりはしたものの、今度はボンドガール選びが難航しているという話です。出すオファー出すオファー、次々と断られているとの事。現代における007映画の存在意義をそこはかとなく反映しているようで、なにか秋風の吹くような淋しさを覚えます。個人的には新作を心待ちにしているのですが。
初期の頃は単なるお色気要員の色彩が強かったボンドガールも、時代の変遷と共に意志を持った主体的な存在へと変貌を遂げました。しかしそうは言っても、既にキャリアを確立した女優は今更ボンドガールでもないのでしょうし、かと言って全くの新人抜擢では興行的に問題あるのでしょうかね。
ウィキペディアに歴代ボンドガールがリストアップされています。私も初期を中心にして大概は把握しているのですが、さすがに全部は覚えていません。全員の名前を諳んじている人は、相当の筋金入りファンだと思います。ついでに歴代悪役俳優も全部言えたら完璧と言えましょう。
リストはこちら(ちなみにこのリスト、11作目「ムーンレイカー」のサブのボンドガール、コリンヌ・クレリーの名前が抜けているようです。)
写真は初代ボンドガールのウルスラ・アンドレス。シリーズ番外編の「
カジノ・ロワイヤル」(現在真面目にリメイク中の新作ではなくて、オリジナルの悪ノリ・バージョンの方)にも出ていました。ウルスラ・アンドレスかラクエル・ウェルチか、というのが、かなり偏った私の60年代女優イメージ。

近所の巨大招き猫が正月仕様になっていました。

2006年も皆さんに福が訪れますよう。
今年もよろしくお願いします。