NHKビジネス英会話(ラジオ番組)の放送内容が、ネットで聞ける様になっています。
ビジネス英会話の公式サイト(アクセスすると三回分の放送が怒濤の如く流れてきますのでご注意)
残念ながらダウンロードは不可能で、聞けるのも過去二週間の放送分だけですが、ラジオで聞くのと違って好きな時間に利用できるので、これは便利。願わくば、イタリア語やフランス語など、全ての外国語講座で行ってもらえるとありがたいです。なぜにビジネス英会話だけの実施なんでしょう。やはり、世相を反映した最前線ビジネス関係を扱うと謳っているだけに、この手の時流に乗り遅れる訳にはいかなかった?


春からイタリア語でも勉強しようと突如思い立ち、11年前に購入したラジオ講座のカセットテープを引っ張り出してきたが、家にはもうラジカセがないので今更ながら買いに行かなければならない。これが前回までの粗筋ですが、その後、2980円のラジカセを量販店で購入してきました。ポイントが貯まっていたので、支払った現金は800円だけ。ものすごくトクした気分です。

早速イタリア語を聴いていますが、「リンゴ1キロ下さい」という、どう考えても自分には使い道のなさそうなフレーズを真っ先に覚えました。そもそもイタリア語を学ぶこと自体が自分にとって全くメリットのない事柄なのですが、まあそれが趣味の趣味たる所以です。
ちなみに、格安ラジカセのメーカーは全く聞いた事のない地方ブランドで怪しさ満開ですが、名前を聞いたことがないから値打ちがない、などという話になれば私の音楽の価値も急落してしまう訳ですから、そういう事は言ってはいけませんね。

語学ファンにとって、新しいテレビ&ラジオ講座が開講する4月は大変ワクワクさせられる時期です。書店には各種外国語のテキストのコーナーが開設されて、関連商品が山と積まれます。物色するだけで外国語が上達したかのような錯覚に陥り幸せな気分になる自分は、語学書籍業界の格好のカモと言えます。
昨年はポルトガル語の勉強に一念発起したはずでしたが年半ばで次第に失速し、結局は挫折してしまいました。全盛期には三カ国語、いや四カ国語を操った
つもりになっていた私としては大変に無様な結果です。そこで今年は気分転換に他の言語をやってみようと思い立ち、テキストを色々と見比べた結果、イタリア語に決定。

とは言いましても、この4月からの新講座に手を付けるのではありません。自宅に残されていた1996年度版ラジオイタリア語講座のテキスト&カセットテープに再び取り組みます。問題はカセットの再生方法ですが(我が家には既にラジカセがない)、2000円くらいで安価な再生装置を売っていたと思うので、今更ラジカセというのも時代に逆行しているなあとは感じつつ、思い切って買いに行く予定です。新講座のテキストとCDを一ヶ月分買うだけで2000円弱ですから、比較してみてもコストパフォーマンスの良さは明白。押し入れに眠っていた過去の教材をリサイクル(?)して地球にも優しく(?)、まさに一石二鳥です。さあ一体どういう展開になるのか。コースが終了する半年後の私の言い訳に、どうぞご期待下さい。

<伊吹文科相>英語必修に慎重な考え示す
次期学習指導要領に盛り込まれる見通しの小学校5年生以上の英語必修化について、伊吹文明文部科学相は27日、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と必修化に慎重な考えを示した。(以下略) 毎日新聞 - 9月27日
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前の文科相は早期英語教育の導入に意欲的だったそうですが、大臣が交代した途端にそれを翻す発言。個人的には、「美しい日本語を身に付ける」事と「外国語を習得する」事はまったく相反しないと思いますし、どちらを取るべきかという二者択一の問題でもないように感じるのですが。英語をやらない分だけ脳にスペースが空いて余計に日本語が達者になる、という訳でもないでしょう。
自分は語学教育の専門家でもなければ脳の発達の研究をしている者でもないですが、外国語と長年格闘してきた(させられてきた?)純粋培養の平均的日本人として更に個人的な意見を言えば、母語とは異なる他国言語の音韻体系に順応する為には小学五年でもまだ遅すぎる、という気が致します。小学校低学年の段階からネイティブ教師の下で歌やゲームで英語に慣れ親しむなどの工夫を、早期に教育現場に採り入れた方がいいんじゃないでしょうか。
などと考えていたら新聞の社説にもありました。「ことばのボーダーを超える事も母語を知る手だてになりはしないか。」いや全くその通り。普段はこの社説を読んで???となる事も多いのですが、今回ばかりは思わず膝を打つ私。日本語を磨くなら日本語だけ勉強していればいいというのは、古い世代(失礼!)にありがちな壮大な勘違いです。
更に社説は、「再チャレンジ」という言葉が美しいとは思えない、とも記していますが、この件に関しては恐らく全国民が一斉に心の中でツッコミを入れていたことでしょう。なによ再チャレンジ大臣って。ハッキリ言って「沖縄・北方 イノベーション 少子化担当大臣」とか「金融 再チャレンジ大臣」などのネーミングを採用する人達の言語感覚を疑いますよ。盛り沢山な感じを出して新政権の意欲を示したかったのかなんなのかよく分かりませんが、美しい国作りとか言う前に、閣僚の皆さんから率先して美しい日本語の実現に尽力して頂きたいものですねえ、まったく…。さすがの私もいささかあきれております。
幼い頃はビッグバードが怖かった…★多言語文化、多言語環境の下で育った子供がアイデンティティ・クライシスに陥るというのは実際に起こりうる事だそうで、慎重に考えないといけない問題であることに間違いはないと思います。でも、英語の歌やゲームくらい別にバチは当たらないと思うんですけれどもね。
2006年も既に8月に突入しましたが、一日二回ポルトガル語のCDを流し聞きするという今年の目標達成がやや危うい雲行きになってきております。丸暗記せよ、などという無理難題ではなく、聞き流すだけという比較的緩やかな目標設定にしているのですが、予想以上にはかどりません。別に聞くのがイヤだから出来ないという訳ではなく、プレイヤーに入れっぱなしの音楽CDをついつい聴いてしまう訳です。
安いCDラジカセでも買ってきてポルトガル語専用とし、タイマー予約で定時に強制再生すれば簡単に達成できる事なので、現在検討中です。ボサノヴァ・ギターとポルトガル語を両方覚えて、忘年会で「イパネマの娘」を弾き語りするのが夢です。

外国語をやろうと考えるきっかけは人によって様々だと思います。ある国の事が好きで好きでたまらなくて、いつかは永住したいとさえ思っている人。その国の映画や音楽に興味があって、より深い作品の理解に役立てたいと思っている人。旅行が好きで、しょっちゅうどこかに出掛けている人。単純に仕事に役立てたい人。原語の文献にあたりたい人。
自分の場合は、どうも上のどれにもあてはまらないようです。習得過程がただ楽しいというだけの理由ですので、激しく手段が目的化していますが、まあ面白いので良しとしましょう。ちょこちょこっと学習用CDを聴くだけでも、何か非常に有意義な時間を過ごしたと思い込めるのが語学学習の素晴らしいところです。とは言え、最近は日々のノルマをクリアしていないので、ここで息切れしないように頑張ります。
4月はテレビやラジオの語学講座が新規開講し、自分もちょっとは真剣にやらねばと心を入れ替えさせられる季節でもあります。

今年は真面目にポルトガル語を勉強してみようかということで、学習用CDをしつこく聞くことを目標としています。まだそれから二ヶ月も経っていないのですが、今のところ一日二回ペースを保って順調に聞き続けています。と言っても、スピーカーを見つめながら50分程のCDをじっと聴き続けるのは事実上困難なので、あくまでも「ながら聞き」です。それでもポルトガル語の響きにはかなり慣れてきました。とりあえず今年一杯は続けたいと思います。
この過程で「こんなことをしてまで外国語を覚えて一体なんの役に立つのか」、「こんなやり方で本当に上達するのか」などと疑念を抱くのは禁物です。思考停止状態で黙って音を受入れていれば、いつか必ず身に付きます。いやきっと付くはずです。多分付くでしょう。
外国語を覚えるにあたっては、なぜ?どうして?などの疑問を持たずに全てを鵜呑みにする、そういう愚直さが物を言うような気がします。語学習得というと一見知的でハイソな行為に思えますが基本は「反復」であり、知性とは正反対の、人間として最も原始的な作業を求められます。まあ文法上の規則性を見いだす為にはそれなりに前頭葉も駆使することにはなるのかもしれませんが、私の場合は頭を使うというよりはもっぱら脊髄反射に頼っている感じです。

いつの日か習得してやろうと思ってスウェーデン語、デンマーク語、フィンランド語、オランダ語などのマイナー言語(←各国の国民の皆様すみません)のカセットを図書館から借りてきてダビングしてから早10年。既にカセットというメディアは衰退し、今では家では聞くことさえできません。あまり用意周到なのも考えものです。
中学生の時にイングマール・ベルイマンの「
野いちご」を見て感動してから、ちょっとスウェーデン語に惹かれています。ベルイマンは日本のクロサワ、イタリアのフェリーニ等に相当するスウェーデンの巨匠です。ちなみに往年の大女優イングリッド・バーグマンもスウェーデン出身で、バーグマンはベルイマンの英語読み。つまり二人は同じ名字なんですね。
Ingrid Bergman
テレビの多重音声やらインターネットやらで巷に英語は溢れるようになりましたが、それ以外の外国語に触れる機会は日常ではまだまだ少ないというのが現状です。そんな時は、市販の語学教材付属のCDに頼らざるを得ません。初歩の外国語教材はいずれも内容的には大差なく、せいぜいボリュームがあるかないかの違いだと思います。従って、どこの出版社の物を使うかを考えるにあたっては、一見どうでもいいような些細な点が問題になってくる訳です。とりあえず、外国語を聴く為のCDなのにやたらと日本語ナレーションが多いのはいただけません。

「(おざなりな打ち込みで作ったBGMに乗せ、アニメ声優風の明るいお姉さんの声で、必要以上の感情移入とともに)皆さんこんにちは!!!!これから一緒に○×△語の勉強を始めましょう!!!!!このCDは毎日繰り返し繰り返し聴いて下さい!!!初めは全く聞き取れないかもしれませんが、やがて少しづつ聞き取れるようになってきてうんぬんかんぬん。それではレッスンそのいち。税関にて!!!!」
こちらは最初から繰り返し聞くためにCDを購っている訳ですし、何よりも外国語CDで日本語を何度も聞かされるのが時間のムダです。車で聴きながら信号待ちの時など、お姉さんのあまりの元気の良さに恥ずかしくなってついついボリュームを下げてしまう。その点、過去に使ってみて具合の良かったのが三修社のCDで、余計な日本語が一切入っておらず非常に使い易いです。(とりあえず私が使ったものに限っての話で、全部が全部そうかどうかは不明。)
まあこういう教材というのは、書店であれこれ物色して購入するまでが一番楽しい時間であり、買っては満足するという事を繰り返して本棚の肥やしにしている訳ですが。
先日は趣味の外国語(正確に言うと、かつては趣味だった事のある外国語)の事を書きました。多くの人が感じている事かもしれませんが、「外国語」と「楽器」は習得のプロセスが非常に似ていると思います。
●まずは、とことんお手本を「聴く」。
●次に、自分で実際に手本をまねて「音を出す」。
●常に実践が重要であって、机上で理論(文法)ばかり追いかけても上達しない。しかし一定以上のレベルを目指す場合は、ある程度の理論(文法)は避けては通れない。
また、「各楽器の違い」は「各言語の違い」に近いというイメージがあります。「ギターとベース」は「スペイン語とイタリア語」の様によく似ており、「バイオリンとトランペット」の相違は、例えて言えば「中国語とアラビア語」の違いの様なものではないかと。一つをマスターすると二つ目、三つ目の習得が容易になる、というのも楽器と外国語の共通点という気がします。(一つ目の体系を理解すると、二つ目以降の持つそれぞれのシステムを一瞥して把握しやすくなるというのもあるし、単純に経験則として一つ目で掴んだ習得のコツが生きるとも言える。)
楽器や外国語が達者になったからと言って人間としての価値が上がる訳ではないですが、(フランス語に堪能な詐欺師とかピアノの上手い強盗とか、世の中にはきっといると思うですよ)、そういう事を抜きにしてもなんだかハマってしまう世界ではあります。
