赤塚不二夫氏が亡くなりました。
長い闘病の末とのことで、
お疲れ様と申し上げたいです。
代表作とか、今更挙げるまでもないですよね。
ご冥福をお祈りします。
(オマケ)「釣りバカ日誌」の北見けんいちが、
フジオ・プロのアシスタントをしていた当時の
エピソードを語ったインタビューは
こちら。

↑著者の武居記者は、過去に赤塚漫画を担当した名物編集者です。
伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」読みました。長編第一作のようです。
宮城県沖に人知れず存在する、小さな島が舞台。島は100年以上に渡り外部との接触を持たない鎖国状態、そこでは人語を解し予知能力を持つ案山子(カカシ)が崇められているという奇想天外な設定に驚きますが、決してファンタジーやSFの類いではなく、物語はあくまでも「現実的」に進行します。気まぐれでコンビニ強盗を働いて警察に追われた主人公が、逃亡中に偶然島を訪れ、そこで目にする奇妙な住人達と奇異な文化風習。そして起こる連続殺人。
のどかで牧歌的な風景と裏腹に、人生の暗い部分が垣間見える島の人間模様や、閉ざされたコミュニティで起こる殺人事件、奇怪なまでに個性的な登場人物の数々は、デビッド・リンチの「ツイン・ピークス」の世界観を想起させました。(と言っても、読後感は「ツイン・ピークス」の後味の悪さ、救いようのなさとは真逆、あくまで爽やかですのでご安心下さい。)とにかく、単に人を善か悪かに二分化するような安易さのない、重層的な人物描写が秀逸です。(ここまで読者に嫌悪感を感じさせるのも珍しい、そんな極悪人も出て来るには出て来るのですが…。)
個人的には、まず小説の書き出しにノックアウトされました。特に物語の核心に触れる訳でもないので、引用します。(今は読みたくない、後で本買って読むという方は、ここでストップ。一応、行間空けておきます。)
「胸の谷間にライターをはさんでいるバニーガールを追いかけているうちに見知らぬ国へたどり着く、そんな夢を見ていた。」いやもう、筆写してベッド上の天井に貼り付けたい位です。読み始めの時に「なんてスタイリッシュなセンテンス!」とまず感銘を受けましたが、結局ある種の異空間に迷い込んで行く事になる主人公の行く末をも暗示している、そんなオープニングであった事が、読み進めるにつれ分かって来る。見事な滑り出しでした。
オーデュボンというのはアメリカの鳥類学者との事。滅び行くリョコウバト(現在は既に絶滅)に彼が馳せた思いが、この小説の骨格になっています。物語のキーワードは「受容」、でしょうか。また、鎖国したまま長年経過しているこの島には、「ここには足りないものがある」という言い伝えがあるのですが、その答えが明らかにされた時、「足りなかったもの」は私の個人的な立場上とても微笑ましい「モノ」でした。が、あまり詳しく書くとネタバレになるので、なんだかワケが分からないと思いますが、曖昧なままの尻切れトンボでこれにて失礼。

リボンの騎士:41年ぶり復活 手塚治虫の名作マンガ、4月から「なかよし」で
故手塚治虫さんのマンガ「リボンの騎士」が、4月3日に発売の月刊マンガ誌「なかよし」5月号(講談社)で、41年ぶりにリメークされることが明らかになった。(中略)
「リボンの騎士」は、王子として育てられた王女サファイアが、権力争いに巻き込まれて塔に幽閉されるが、天使・チンクらの協力で脱出、男装の「リボンの騎士」となって悪をこらしめるという少女マンガで、手塚さんが宝塚歌劇を見て発想したという。1953年に雑誌「少女クラブ」で連載が始まり、63年から「なかよし」で連載。67年にはアニメ化された。(以下略 )毎日jpより引用↓これが

↓こうなるそうです

オリジナルを多少なりとも知っている者にとっては、激しく違和感を感じさせられるこのリメイク版ですが、時代も移り変る中では仕方のない事でしょうか。リメイクの方で初めて作品に接する人間にとっては、あくまでそちらが第一印象になる訳ですし、この作風が今の子供のニーズに従っているのだとしたら、それはそれで妥当なのかもしれません。私の最も好きな映画「天国から来たチャンピオン」(1978)も、実は「幽霊紐育を歩く」(1946)のリメイクであり、仮にオリジナルを知っている人にリメイク版を否定されたら、やはり無念を感じるであろう、と思う訳です。

「
patweekの本と音楽」で紹介されており、感じるものがあったので読んでみました。伊坂作品は初めてですが、これは面白い!ユーモアとクールさが同居する点では、ちょっとだけ阿刀田高を想い出しました。久々ツボにはまった一冊です。
映画化もされて話題になっているようなので、既にご存知の方も多いかもしれませんが、主人公の死神が人間の行動を七日間視察し、その生死の行方を判定するという内容。死神を狂言回しにしながら、老若男女、様々な社会に生きる様々な人間の様々な生き様を、クッキリと浮き彫りにしています。冴えないOLからヤクザ、チンピラまで、彼または彼女がなぜそういう人生を歩むに至ったかという背景や心理を描写する、その視点の繊細さとオリジナリティが素晴らしい。
短編集的な形式で、一本につき一人の人間の人生模様が描かれるのですが、それまでの物語で提示された点と点が最後の章で結びつくところ、かなり心動かされました。単純に感動というには微妙に違うのだけれども、そうだったかと思わず膝を打ちたくなる納得の展開。でも付きまとうのは、ちょっと不思議で切ない感覚。こういう読後感、あまり味わった事がありません。
死神などというと、なにかオドロオドロしい怖いものを想像しますが、ここでは人間の姿を借りた淡々とした存在として描かれていて一風ユーモラスな側面もあり、そのキャラクターが絶妙です。(例えば死神は音楽が大好きで、よくCDショップの試聴機の前にいる、とか。)人の生死を扱う物語だけれども、「死」には慣れ切った(むしろ退屈した)死神の冷静沈着な視点で描かれるが故に、過度にウェットにはならないところがまた面白い。(生死の話だけに、面白いという言い方も語弊がありますが。)
実際、突然訪れる不条理な死というのは(「不条理じゃない死」なんてどこにもないのかもしれないけれども)、当事者達にとっては辛く厳しい事です。しかし、大局的な宇宙の営みの中では、それは恐らく取るにも足らない些末な事柄であって、しかもいつかは必ず訪れる物。そういう見方も含めての「死」の捉え方が、逆説的に「生」を強く肯定しているのかもしれません。
なんて適当にそれっぽい事を書いてみましたが、単純に言って「面白い!」の一言です。

浅田次郎というと、「地下鉄(メトロ)に乗って」や、近代中国を舞台にした直木賞候補作「蒼穹の昴」などの評価が高く、更にはまだ彼が一般に「売れる」前に書かれたということもあり、この「日輪の遺産」はむしろ地味な一品と目されがちです。しかし、そこにある感動は圧倒的で、その後書かれる作品のクオリティに全く引けをとらないどころか、凌駕さえしているのではないかと私は思っています。
1990年代初頭当時の浅田次郎は、軽妙路線専門の極道小説家というレッテルを貼られており、偏ったイメージの定着を恐れて方向転換を図っていた時期の一冊という事です。お笑い小説を書いていた頃から、笑えて泣ける作風の奥行きは他とは一線を画していた訳ですが、それを差し引いて考えても、突如として登場したこの力作には、リアルタイムの読者はさぞ驚いたことだろうと思います。
描かれるのは、太平洋戦争の終了直前に陸軍が隠したという財宝と、そこに関わった人々の壮大なドラマ。手帳に残された手がかりを頼りに、財宝の秘密に肉薄しようとする現代の登場人物と、財宝隠しに関わった当時の人々の双方の事情が時代を跨いで並行して描かれ、それぞれの物語が最後に一点で交錯する時の感動には、思わず体が震えます。ことに、秘密裏の財宝隠しに携わる事になった当時の女学生のひたむきな姿は、涙無しには読めません。
類い稀なる人間描写力をベースに、最上級の筆致で書かれた歴史ドラマ(&ミステリー)です。

映画「続・三丁目の夕日」のストーリーの原案になった漫画エピソードばかりを集めた単行本です。
金持ちの家の少女が、父親の会社の倒産で極貧生活を強いられる話、鈴木オートの主人が、別れ別れのままの戦友と再会する話、手の荒れた少女が友達の母親にハンドクリームを塗ってもらう話などなどを収録。各エピソードがそのままの形で映画になっている訳ではなく、各々の物語の断片や核心部分、人物設定などが巧みに組み合わされて脚本が書かれています。映画を観てから読むと、原作の本質を踏まえつつ、うまくストーリーが組み立てられているなあ、とつくづく感心させられます。
漫画「三丁目の夕日」それ自体としては、「傑作選」として選りすぐりで発売されている物の方がのシミジミ度は高い。漫画作品としての個々の出来映えは「傑作選」収録エピソードに軍配が上がると思うのですが、映画がどういうアイディアに基づいて作られたかという観点で、この「特別編」はなかなか興味深い一冊です。

家人がどこからか持って来たので読んでみました。一言にまとめると、第二次大戦後に特に跋扈している西洋的な「論理」中心の考え方に加え、日本人特有の「情緒」も同時に重視していくのが日本の進むべき方向だ、という話。
講演に手を加えて書籍化したものだそうで、それもあってか非常に読み易い。制限時間内に不特定多数の人間の興味を引きつけないといけない「講演」というモノの性質上、分かり易さを重視して話していると思われるので、やや極論と見られがちな内容も含まれる様に思いますが、個人的には面白かったです。
私自身があまり論理的な人間ではなく、むしろ情緒的に物事を判断する傾向が強いので、そこを正当化をしてくれる書物という意味でも、なかなか痛快でした。自分の場合はもう少し論理的に考える事も必要だ、とも思わされましたが。

赤塚不二夫の人気漫画「天才バカボン」が誕生から40年を迎えたそうです。
漫画の神様と言えば通常は手塚治虫を指しますが、私の世代には赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄の面々も、ほぼ神と同等の人々です。以前、赤塚先生の原画展も見に行きましたが、子供の時に漫画雑誌で読んだ連載を実際に生原稿で見た時には、本当に感動しました。ナンセンス漫画の原稿に心震わせるというのも、傍から見れば奇妙な光景なのですが。

クリスティの代表作のひとつですが、私は先に映画を観てしまったので結末を知った上で読んだ一冊。結末は今となってはあまりにも有名と思いますが、それを知った上でもやはり面白い。何度読んでも面白い。殺人の起こった寝台車に乗りあわせていた全ての乗客が容疑者となる訳ですが、各人の国籍や職業、階級の違いから生まれるそれぞれの個性や、探偵ポワロの尋問に対する各々の反応が特徴的で、その辺の描写に引き込まれます。
「殺人者とは演技者でもある」という様な事をクリスティは言っていたらしいですが、犯人がどうやってポワロの目を欺こうとするのか、その「演技者振り」には上質の室内劇を見ているような趣が漂います。(それは読後に分かる事ですけれども。)
私が読んだのは角川文庫ですが、出版社により異なる翻訳者の版がいくつもあるようなので、どれを読むのかによってまた印象も違うのかもしれません。ちなみに1974年公開の映画版も多くの登場人物をうまくさばき、豪華キャスト(当時)による多彩な芝居が見物な良作ですので、未見の方にはお薦めです。

漫画家の浦沢直樹の日常の仕事ぶりに密着したドキュメンタリーを見ました。彼の代表作のひとつ、「MASTERキートン」は考古学への情熱と冷戦後の激動の東欧情勢とを軸に主人公周辺の悲喜こもごもの人間模様を描いた傑作で私のバイブルとなっており(原作者との権利問題のせいで今は絶版なのが惜しい)、そういう意味でもその創作現場に大きな興味があったのですが、単なるファンとしての視点を超えて感動を与えてくれる内容でした。

スタジオに招かれた浦沢がカメラの前でささっと描いて見せた人物画。漫画や絵の躍動感を言い表すのに「今にも動き出しそう」とはよく使う表現ですが、単純な線の組み合わせによる顔の輪郭と目鼻、これが「今にも動き出しそう」。ペンで描いた一本の線だけでこんなに感動するとは我ながらちょっと意外で、少しウルウル来てしまいました。
言うまでもなく、よく練られたストーリーやそれを示す上で最も効果的な構成、深みのある人物描写などにも画力だけに頼らない高いクオリティが保たれている訳ですが、とにもかくにも「線一本」で人の心を動かすという絵描きとしての基本中の基本の動作に込められた凄みに、その人気の秘密を見る思いがしました。
